
かつて1970年代に、国鉄(JRの旧称、当時はそう呼ばれていました)が電通と展開した「ディスカバージャパン(Discover Japan:美しい日本と私)」というキャンペーンがありました。この頃は、1970年に女性雑誌の「anan」、1971年に「non-no」」が発行されて、「アンノン族」という言葉が生まれ、当時10代だった私も含めて多くの女性たちは、倉敷、萩、津和野などの古都を訪ねて、「日本を良さを再発見する旅」に憧れました。さらに、1978年には、山口百恵の「いい日旅立ち」が国鉄のキャンペーンソングとなり、女性たちの旅への憧れは高まって、現在に続いています。
今回の3週間の日本滞在は、講演のためにもちろんホテルに泊まりましたが、縁あって普通のアパートメントに泊まり、スーパーマーケットやコンビニエンスストアに頻繁に出かけ、大学時代のゼミナールの友人たちが開いてくれた同窓会で大いにおしゃべりをして、3人のお子さんのある家族とランチをしながら遊園地で大観覧車に乗るという経験までしました。以下の写真は横浜のみなとみらいの大観覧車に乗った私と観覧者の中からみなとみらいを撮影したものです。
日経の講演や書籍発行のプロモーションで、かなり動き回っていましたが、十分、「日本の良さを再発見する時間」がありました。アパートメントの廊下であった人たちの控えめな挨拶、みなとみらい駅に向かう途中のベンチで恥かしそうな様子で手を握りながら座っている若いカップル、docomoショップで私が悩んでいた日本の携帯電話の使い方を本社に電話をかけながら一生懸命教えてくれた若い女性(見習い中というカードがありました)、横浜美術館の前の噴水で3人の小さな子供たちに「ミスト(噴水による霧)」を浴びさせていた若い5人家族、早朝港の散歩道を走るミドルエイジの男性の笑顔など、みんなが楽しげで、私は何だかとっても嬉しく「Happy」で、ことあるごとにこの気分を話しています。
「自己主張と自己表現過多」ともいうべき米国社会に14年間暮らしていて、ちょっと忘れていた「日本の控えめな優しさと思いやり」を思い出し、さらに1人1人の社会における人間としての質の高さにすっかり感動しています。普段は滅多に行けない私の従兄弟たちが経営する焼き鳥屋「おおしば(拝島2店、福生、東中上と4店あります)」にも、夫と母と3人で出かけ、座敷で胡坐をかきながら、焼き鳥をほおばり、サワーを飲んで、だんだん日本の「人の顔が見えてきました」。
短期間の出張やビジネスミーティングだけではわかりにくい、日本人の底力と「たおやかな強さ」、さらに「日本の空気感」を感じることができて、今回の出張中、私の中の「日本人血中濃度」が久しぶりに高まりました。マーケターにとって最も重要なことは、こうした「空気感」の認識と把握、さらに数字には現われにくい「生活者の本音への直観力」です。またビジネス面では、講演や書籍発行に関連して多くの新しい人たちとお目にかかるチャンスが生まれ、、さらにその後オンライン上の講演や書籍に関するブログやコメントの鋭さによって、私はかなり刺激をうけています。
米国生活やオバマ政権に関して、山ほど書くことがたまっていますが、まずは「ディスカバージャパン」の気分を最初に伝えたく、エントリしました。