ひさみをめぐる冒険
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ひさみをめぐる冒険
サンフランシスコ・シリコンバレー在住マーケターのINSIGHT(洞察)



ひさみの超私小説②:2時間話さなくても心地よく感じる、『結婚』ってこういうものかな?

3/27/2021

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前回の出会いが好評だったので、気を良くして、その後を語ります。私の超個人的なお話②
「緑の中を走り抜けてく真紅なユーノス~」

1994年3月24日の深夜の出会いの後、2日後の土曜日に、借りた傘を返すために、その男性と再会した。何の気兼ねもなく、英語で会話ができることに驚きながら、私はディナーをエンジョイした。彼が翌日の予定は?と聞くので、特にないと答えると、じゃあ明日も会わないか?と誘われた。丁度桜がどんどん開花し始めていたので、私はお花見をしようと決めた。

オープントップの真っ赤なユーノスロードスター(Eunos Roadster)(米国ではMazda MX-5 Miata)で、私は全日空ホテルに彼を迎えに行った。
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1989年5月父が亡くなり、私は自分だけの車が欲しいと思い、その年発売予定のユーノスロードスターを買うことに決めた。予約がいっぱいで翌年じゃないと入手できないとディーラーに言われたが、来年まで待てない私は、当時の知人で、電通のマツダ担当に相談した。彼はマツダの部長に直接お願いすれば、何とかなるかもと言われて、部長を紹介された。部長は会った瞬間「大柴さん、予約なしで、すぐにユーノスを調達します。但し条件があります。色は赤です」と言われた。私はシルバーだと決めていたので、「えっ、赤ですか?」と聞き返したが、部長は「大柴さんがオープントップの赤のユーノスで街中を走れば、ユーノスの大きなPRになるので」と言われ、結果、赤のユーノスを買うこととなる。
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PS①:この後、初代ユーノスの「ゆーちゃん」とは米国移住の際に別れを告げるが、米国でもゆーちゃんの姉妹Miataの「みあちゃん」との関係が生まれる。それは追って触れていきたい。
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Eunos Roadsterの革新性は、能の「小面」をイメージしたフロントデザインにも表れていた

このユーノスロードスターに関しては、Wikiで、当時如何に革新的で、消滅しかかったLight weight sports car(軽量スポーツカー)市場を活性化させて、多くの車メーカーに影響を与えたかが分かる。

1989年5月にアメリカで発売された。日本国内では同年8月に先行予約を開始し、9月1日に発売された。発売初年には国内で9307台を販売、翌年は世界で9万3626台を販売してスポーツカーとしては大ヒットとなった。このロードスターの成功を受けトヨタ自動車(MR-S)や本田技研工業(S2000)などの国産メーカーだけでなく、MG(MGF)やフィアット(バルケッタ)、BMW(Z3)、メルセデス・ベンツ(SLK)、ポルシェ(ボクスター)といった海外メーカーまでが影響を受け、中小型オープンカーが開発された。消滅しかけていたと思われていたライトウェイトスポーツカー市場が活性化する起爆剤になった。
2000年には生産累計53万1,890台を達成し、「世界で最も多く生産された2人乗り小型オープンスポーツカー」としてギネスブックの認定を受けた。また、2004年の生産累計70万台達成時、2007年1月30日の生産累計80万台達成時、2011年2月4日の生産累計90万台達成時にも記録更新の申請を行い認定されている。そして2016年4月22日にはついに生産累計台数100万台を達成した。

デザインモチーフには「日本の伝統」を記号化したものが多く用いられたこともあり、そのユニークさは際立っていた。フロントマスクは、能面のひとつである「小面(こおもて)」からインスパイアされたもの。シート表面のパターンは畳表の模様、リアコンビランプは江戸時代の両替商が使った分銅の形をデザインしている。
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以下は、柏木裕美一面打師による「小面」の写真プリントで、奈良の春日大社に奉納されている。私は2004年に彼女の能面展に出かけて入手した。私の「ゆーちゃん(私はロードスターをこう呼んでいた)」は、まさにこの能面のような顔立ちで、私は彼女を親友のように思い、こよなく愛していた。
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PS②:私は1995年米国に移住し、2000年のドットコムバブルの終わり頃、日本の伝統工芸のオンラインサイトを起こすべく起業し、資金調達に走り回っていた。

その当時日本の文化をより深く知るために、知人に紹介されて、能の人間国宝の櫻間道雄の孫として生まれ、第21代
櫻間家当主となった櫻間右陣(私がお目にかかった時は櫻間真理)のご自宅に伺う機会を得た。

​櫻間家の「面(おもて)」を手渡されて、面を顔に当てて、内側の眼の位置から外の世界を垣間見るという機会を得た。私は、まさに何とも言えない、表現しにくい世界が見えて、面の不思議さを味わった。私は、能という世界の奥行きを、櫻間家の面によって知らされた。

「シンカンセンひさみ」参上!

私は、真っ赤なポルシェではないが、ユーノスに彼を乗せて、満開の千鳥ヶ淵に向かって走り出した。当時は、良く車で会社に行っており(バブルだった)、都内の道は、裏道や一方通行を含めてかなり知っており、ちょこまかとシフトを変えながら、車を走らせた。彼は目を丸くして「君はまるでCab dirverみたい。この迷路のような東京の色んな道を知っている」と驚いていた。

当時、彼は東京から離れた田舎町に赴任しており、何度か東京で会った後、GWに遊びに来ないかと言われた。彼の赴任地は、国分寺の実家からは、列車を乗り継いで4時間かかるところ。こういう列車に乗ること自体が、私にとって旅を意味し、東京生まれの東京育ちで、入社後もひたすら東京の夜を徘徊していた私は、田舎の居酒屋体験に1人でワクワクした。

地元の人で混み合う居酒屋で、私は全く彼らの話す言葉が聞き取れず、外国にいるような気分で、ちょっと高さのある座敷で胡坐をかいていた。彼は「僕は、いつも彼らの日本語と聞いているので、君が東京で他の人と話す日本語を初めて聞いた時、なんてクリアで聞き取りやすく、綺麗な日本語を話すんだろうと、感心したんだ」と言われ、彼の気持ちが理解できた。

そんな中、私は珍しく早めに仕事を終わらせて帰宅出来た金曜日の夜、突然週末は彼のところで過ごすことを思いつき、早朝車で向かうと彼に電話した。いつもは4時間近くかかる列車の旅であったが、早朝で道も空いており、ユーノスで高速道路をスピード違反ぎりぎりの速度で飛ばしに飛ばして、3時間で彼のアパートメントに着いてしまった(告白:120kmの制限速度であったが、多分130-140kmぐらいは出したかもしれない)。
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ドアをノックすると、彼は部屋の掃除の最中で、私の到着時間のあまりの速さに驚き、「もし新幹線が開通したらこのスピードだ。君は『シンカンセンひさみ』だね」と絶句していた。

雨の中、2時間黙って時を過ごした2人

その日は朝から雨が降っていた。彼は新たなステレオプレイヤーを購入したので、そのセットアップを始めた。私は雨の音を聞きながら、田園風景を目にして、持参した小説を読み始めた。セットアップが終わった彼は、迷うことなく、Eric Claptonのアルバム『Unplugged』をターンテーブルの上に置いた。私達は、何故か何も言わず、ただアルバムを聴き始め、およそ2時間近く、2人の沈黙は続いた。
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私はふっと思った。2時間何も話さなくても、非常にリラックスして気持ちがいい。こんな風に、言葉を必要としない心地よさが、得られる相手ってそんなにいない。「結婚ってこういうことかな?」

今まで、こういう風に考えたことがなかった私だが、雨の中の沈黙の2時間は、私に何かを教えてくれた。私は、この人とずっと一緒にいたいと初めて、心から思った。
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私は彼に「2時間近く話さなかったけど、気持ちよかった」と告げると、「僕も同じようなことを考えていた」と、彼は答えた。

田舎町初のタクシーの送り迎えによる海水浴

『シンカンセンひさみ』は、その後も度々真っ赤なユーノスで、3時間という超スピードで、彼が住む田舎町に通った。彼のアパートメントの裏にはトウモロコシ畑とひまわり畑があり、季節が移り、まばゆいばかりの色に染まって行った。

ある週末、彼が仕事のためにオフィスに出かけた。手持無沙汰の私は「そうだ!あの太平洋の海岸で泳ごう!」と思い立ち、早速電話でタクシーを呼び出した。運転手さんに、「ビーチへ」と告げて、近くの海岸に連れて行ってもらった。太平洋の大海原の波の荒い海岸には、海水浴場がある訳でもなく、人っ子一人おらず、怪訝な顔の運転手さんに、2時間経ったら、迎えに来て欲しいとお願いした。

1994年当時は、今では想像もつかないほど、プリミティブな時代だった。勿論、携帯電話もインターネット(日本では皆無に等しい)もなく、コミュニケーションは、固定電話がメインで、あとはFax或いは手紙という、スロウな通信手段で、時間は誰に対しても、ゆっくりと流れて行った。

流石に太平洋の荒波は激しく、私は何度も海中に叩きつけられた。久しぶりの太平洋の海水は実に気持ちよく、母の故郷の伊豆大島で、夕方唇が紫色になるまで泳ぎ続けた、子供時代を思い出した。泳ぎを満喫して、海水でびしょ濡れの私は、どこかで海水を落とさねばと思い、周りを見渡すと、丁度海に流れ込む川がそばにあり、川にじゃぶじゃぶ入って海水を落とした。海岸に迎えに来た、怪訝な顔の運転手さんは、「何をしていたの?」と聞いた。私は「海で泳いで川で海水を落としてきたので、車は汚れません」と答えた。運転手さんは、「あれまあ、お客さんが初めて。この海岸で泳ぎたいからって、車を呼んだのは。泳ぎが出来るんだね、お客さんは。普通はこの海岸は波が荒いから、誰も泳がないんだよ。それも川で身体を洗うとは賢いねえ」と言って、目を丸くしていた。

オフィスから戻った彼に、今日何をしていたの?と聞かれ、私はタクシーを呼んで海で泳いで来たと答えると、またしても口あんぐり状態となった。経緯を話しながら、川で身体を洗ったという部分では、思わず吹き出した。「君はやろうと思ったことは絶対にやり遂げるんだね、プランなしに」と絶句していた。
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英語の"If"が聞こえず、勝手にプロポーズされた思い込んで結婚を決意した私

いつの頃だか、はっきり記憶にはないが、彼が、何かの拍子で、私に"If We Got Married..." と言った。私は、この後に続く言葉を覚えていない。また、これは今だから言えるが、この"If”という言葉が、完璧に私の耳に入ってこなかった。

​私は、この"If"が抜けたフレーズに、アタマの中で即座に反応した。「あっ、プロポ―スされたんだ!小説や映画の中のプロポーズの台詞とは随分違うけど、まあいいや、彼はシャイだし、間接的なプロポーズなんだ」と、思い込んでしまった。

その後、プロポーズされたかどうかの確認もせずに、私は結婚を機に、会社を退社すること(彼の住む田舎町から通勤は困難)や、退社後の田舎町での私の仕事は文章修行をして報道記事を書くことなど、様々なことを考え始めた。ある程度プランがまとまった私は、早速「結婚式は、子供の頃から夢見た、満開の桜の樹の下でしたい。来年の4月がいいと思う。場所もある程度、あたりをつけたの」と伝えた。この時、彼が沈黙したのは、何となく覚えている。

その後も色々あったが、結果、翌年の4月8日のお釈迦様の誕生日、前日までの春の嵐が打って変わったような晴天の中、私たちは、満開の桜の樹の下で、式を挙げた。

暫くして、時がたってから、

彼は「あの時、君は"If"が聞こえなかったたんだね」

私は「えっ、あの時、私にプロポーズしたんじゃなかったの?」

彼は「うん、してない。もし僕たちが結婚したら何々だね、と仮定の話をしたんだ」

私は「どうして、私が結婚式のプランを話し始めた時に、それを言ってくれなかったの?」

彼は「君がやり始めたことは誰もとめられない。それに君が勘違いしたままっていうのも悪くないと思ったから」

英語が出来ないっていうのも、案外悪くないってことを証明する、私の物凄く私的なストーリー。
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ひさみの超私小説①:27年前の雨の六本木ラブストーリー

3/23/2021

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1994年3月24日木曜日の夜に起きた、私の超個人的な話。

「日本酒ですか?」

「今日は和食に日本酒のディナーです」とクライアントに言われた。私は「日本酒のみですか、そのお店は?」と聞くと、彼女は「そう」とさらっと会話を終わらせた。

私は内心「いやあ、まいったなあ。日本酒は得意じゃないけど、断るわけにもいかないし。兎に角、お酒は抑えめに行こう」と言い聞かせて、六本木に向かった。彼女は広報担当で、私とはすでに長い付き合いで、NY出張も含めて様々な場所に一緒に出掛けており、個人的にもかなり親しい間柄であった。
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星条旗通りにぶつかる手前の細い道にあった和食のお店は、料理も美味しく、普段は自分では滅多に飲まない日本酒がその料理とぴったり合って、私は自分への戒めを忘れ、彼女と一緒にどんどん飲んでしまった。詳細は忘れてしまったけど、この和食のお店で食事が終わった頃には、かなり酔っていたことは確か。彼女は〆るために、近くのバーに行こうと言う。「いやあ、もうダメです」という私を引っ張るようにして、元防衛庁の横の小路のソウルバーに向かった。

ソウルバーGeorge's

彼女は英国留学もしており、英語は堪能で、Jazz SingerのCarmen McRae(カーメン・マクレエ)の日本公演では通訳をしたこともあるぐらい。また奇妙なコトに、彼女も私も、個人的には別々に、六本木の夜の〆は、このGeorge'sに来ていた。
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1964年にまで遡る伝説のソウルバーGeorge's は、幅約2mで奥行き10mほどのうなぎの寝床のようなスペースに、カウンターと丸椅子が15席、そして名物のジュークボックス(EP版80枚でA面B面合わせて160曲)があるだけの狭いバー。 薄暗い店内の壁や天井には今まで訪れた海外の有名ミュージシャンのサインやポスターなどが無数に飾られ、カウンター席は座ると後ろが30センチにも満たない空間で、時間帯にもよるけど、後ろに立ち飲み客が入ることもあった。
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www.georgesbar.co.jp/history.html
オーナーのママさん(岡田信子)は、ガーナ大使館勤務の経験もあり、黒人文化に精通していた関係で、多くのアメリカ兵が出入りしており、当時日本で唯一ソウルミュージックが、ジュークボックスで聞けるソウルバーだった。Wikiでも、以下のように描写されているけど、常連客主体で、ママさんが気にいるかどうかが、肝だったことは、覚えている。

​当時日本ではなかなか聴くことの出来なかった 最新のソウルミュージックを目当てに日本人客がやがてジョージスに出入りするようになる。 その時代のアメリカ兵の溜り場の敷居を日本人がまたぐことは容易ではなかった(岡田信子談)。 当時出入りしていた客によると、出入りする日本人客たちには必然的にアメリカ兵たちと対等に店内空間を共有にする事の出来るつわものが多かったため、客同士の喧嘩やトラブルも絶えなかったという。 その上、常連となった客の仲間意識が非常に強かったため、その後のジョージスには客を選ぶ店としての印象が付きまとった。 次第に時代が進むにつれて日本人客の割合が多くなったものの客を選ぶ店という評判のもと、人づてで多くの芸能人や著名人で常連となる者も増え(海外のミュージシャンが特に多かった。ダリル・ホール&ジョン・オーツはその中でも特に親交が深かった)、さらに客を選ぶ店というイメージが高まり一見客はとても入れる雰囲気ではなかったという。 実際に後のジョージスは次第に常連色の強い店と形成されていき、一見客がほとんど寄り付かない異色な店と変化していった。 現在営業する老舗のソウルバーのオーナーの中にはこの頃の常連だった人々も多く、他にもジョージスから影響を受けた著名人は少なくない。 鈴木聖美 with Rats&Starが歌った「TAXI(作詞 岡田ふみ子、作曲 井上大輔)」の歌詞にも「Georgeの店」として登場する。2001年にオーナーの岡田信子が他界。2005年8月24日、東京の西麻布にて営業再開。

​1994年3月24日木曜日の夜、George's は、何故かたった2人の外国人のお客のみで、ガランとしていた。ジュークボックスのそばのカウンターの2席が空いており、男性客はその3番目と4番目の席に座っていた。

​私たちはためらいもなく、ジュークボックスのそばの席に座った。ご機嫌な彼女は、隣の男性に自己紹介をし始めて、私の方を振り返りながら「この子は沖縄から来たばかり、英語はあまり出来ないし、すでに酔っているから、気にしないでいいわ」と告げた。

​ジュークボックスと傘

George's のカウンター席は、幅2mしかないので、トイレに向かうたびに、座っている外国人男性に声を掛けねばならなかった。酔ってはいたものの、George'sではジュークボックスの曲で踊ることが好きだった私は、ジュークボックスの前に立っていると、突然クライアントと話していなかった、もう1人の男性が私に近づき、Do you wanna dance?と聞いてきた。私はためらないもなく、Sureと、答えてしまった。残念ながら、どの曲で踊ったかは、今は全然思い出せない。
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その後、暫くして、終電間際であることに気が付いたクライアントは、シンデレラの如く「電車がなくなる、帰らなきゃ!」と叫んで、飛び出した。何故か、私は彼女の後を追うコトもせずで、そのまま、ソルティドッグを飲みながら、その男性と話し続けた。小1時間も経った頃、外では雨が降り始め、私は「帰らなきゃ」と言って、店を出ようとしたら、その男性は折り畳み傘を差し出した。私はその傘を差しながら、タクシーを掴まえて、家まで帰った。

​「大変です、外国人が3回も電話してきました」

日本酒とソルティドッグのブレンドが効いた、翌朝の私のアタマの中は、小人が小槌でガンガン叩いているような状態。電話で私は「今日は午後出社します」と言うしかなかった。電話口の部下は「大変です、外国人がすでに3回も電話をかけてきています。必ず電話してください」と言われた(当時私は英語が出来ないというラベルを貼られており、部下はそんな私がなぜ外国人とコミュニケーションをしたのかが、不思議だったんだと思う)。

思わず「はあ?」と考えたが、「あっ、そうか」、名刺交換したし、傘も借りていたんだと納得した。

傘を返すにしても、ちょっと面倒くさいと思いながら、男性に電話すると「昨晩、君は酔っていたみたいので、今晩改めてディナーはどうですか?」と聞かれた。

私はアタマの上までアルコールが入った状態で、今晩ディナーなんか、とんでもないと断ると、彼は「今晩東京を離れるけれど、週末に東京にまた戻ってくることは可能なので、土曜日か日曜日、ディナーはどうか?」と言われた。
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傘を借りている手前もあるし、氏素性もしっかりした男性だったので、私は土曜日に傘を持って、全日空ホテルのロビーに向かった。

​きちんとタイを締めてスーツを着て待っていた男性

George'sでは、カーキのパンツにレザージャケットという軽装だったその人は、全日空ホテルのロビーで、ロングコートにタイとスーツという、フォーマルな姿で私を迎えた。私は逆に週末なので非常にカジュアルな格好で、ちょっと戸惑ったが、彼は礼儀正しい態度で、私をイタリアンレストランに連れて行った。

そこで何を話したかは、今イチ思い出せないが、英語が出来ないと思い込んでいた私が、何故か、彼とは自然に英語で会話が出来て、無理なく話せたことだけは、記憶にこびりついている。
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1994年3月24日の夜から、1年と15日後、その男性と私は、満開の桜の樹のもとで結婚式を挙げた。
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六本木のGeorge's からSaint Georgeへの旅

あの夜、George's のジュークボックスと、折り畳み傘がなければ、2021年3月24日の今、このSaint Georgeの自宅に、夫と2人でいるというコトはなかったと思う。
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六本木のGeorge'sからSt Georgeへと、27年間、夫と2人で人生の旅を共にしてきたけど、私は最近ますます自分は幸せ者だと思う。そして、この後も、この人と長い旅を続けていきたいと、思っている。
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PS:あのクライアントとは、今でも仲が良く、彼女は今でも冗談で「なぜ、彼はあなたを選んだのかしら、不思議。本当は私だったはず…」と笑いながら話す。
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アメリカの現実⑯「過去のデータから未来を予想するAIには、バイアスが存在する」

3/14/2021

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Alphabetに勤務していたAI研究の第1人者の解雇問題は、私に将来の社会への不安をもたらした

2020年12月、Alphabetに勤務していた「倫理的な人工知能(AI)研究の第1人者」のTimnit Gebru 博士が、退職した(彼女は解雇されたと明言している)。
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By TechCrunch - https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=97995768
解雇理由として、彼女は、自分の研究論文撤回を拒否したことと、女性社員昇進に関する彼女自身のフィードバックをAlphabetが無視したと同僚へのメールで批判したことを、挙げている。

その後CEOのSundar Pichaiは、文書で「博士の退社に対する反応は、はっきりと聞こえている。それは疑念を植え付け、われわれのコミュニティの一部がGoogleにおける立ち位置を自問するに至った」と指摘し、「非常に申し訳なく感じており、信頼回復に努める責任を受け入れたい」と述べている。

私は今後の私たちの生活に与えるAIの影響力を考えると、この件を目にして、背筋が、ぞくっとしたことを思いだす。
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Gebru事件は「経営者が職場で聞きたくない問題、差別が常に職場に存在する」ことを示唆する

Gebru博士は、AI倫理研究分野のリーダー的存在であり、AI関連の黒人団体「Black in AI 」の共同設立者でもある。彼女は「顔認証が女性や有色人種の顔を認証する上での正確性は他より低く、顔認証の使用はこうした人への差別となりかねない」と指摘する、革新的な論文を共同執筆したことで有名な人物でもある。

彼女が解雇されてから、Alphabet社員2,500人以上と学術・産業・市民社会の支持者4,000人以上がGebru博士を支持する請願書に署名した。請願書は、「Gebru博士は、類まれな才能を持ち大きな功績を収めた貢献者としてGoogleから受け入れられるのではなく、保身的な対応や人種差別、Gaslighting(相手が自分の考えを疑うよう仕向ける心理的策略)、研究の検閲を受け、最後に報復として解雇された」と主張している。

2020年のLeadership IQによる5,778人の米国成人対象の調査「Many Leaders Don’t Want To Hear About Discrimination In The Workplace(多くのリーダーは、職場での差別の話を聞きたくない)」で、職場で自分への問題を起こすことなく常に報告できると感じていた黒人社員はわずか13%だった。また、職場での差別に関する懸念を報告すれば、経営陣は常に解決のため意義のある行動を取ってくれると答えた女性はわずか23%だった。
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多くの企業は「聞く姿勢」を見せるが、企業はその際に自己弁護や正当化を試みる。

経営者にとって、職場における差別問題や懸念を聞くことは容易ではなく、尚且つ時には不快な気分になる。これは「認知的不協和」、即ち心理的に相反する2つの考え(或いは態度や意見)を持つ時に生じる不快な緊張状態を創出してしまうからである。

私は、当初AlphabetのCEOのPichaiも非白人であるのに、なぜGebru博士の見解を理解出来ないのか?と一瞬考えたが、シリコンバレーにおけるアジア系非白人は、マイノリティとは言い難い点から考えれば、これは納得がいった。Gebru博士の場合は「黒人+女性」というマイノリティの比重は乗数となり、尚且つAIという今後社会において最も重要な影響力を及ぼす領域で、「女性と有色人種への差別にもつながる、顔認証の不正確さの指摘」は、Alphabetにとって、かなり耳が痛い話である。

Alphabet社員たちのGebru事件以降の急速な動き

2021年1月Alphabetでは、シリコンバレーでは非常に稀な動きであるが、労働組合が結成された。現在社員200名以上が「Alphabet Workers Union」に加入した(Alpabetの社員は13万2000人以上)。Communications Workers of America Local 1400(米国通信労働組合の1400支部)と提携し、全社員及び契約・派遣社員を対象とする初の労組で、年間の基本給とボーナスの1%を組合費として、毎年支払う組合員によって支えられる。組合の目標は、団体交渉やAlphabetによる正式承認ではなく、「キャリアへの影響に直面することなく、社員が自社について発言できるようにすること」だという。

Alphabetは長年、社員の開かれた議論を促してきたが、一方では社員間の政治的な会話を抑制する狙いのルールも導入している。こうした状況下で、社員の不満は増加し、2018年には数千人の社員が、セクシャルハラスメントの加害者を昇進・保護する職場文化があると訴え、抗議運動に立ち上がった。組合員は、Alphabetが自社に批判的な社員に報復している、差別や嫌がらせの苦情にほとんど対応していないと指摘する。また今回の組合結成の大きな理由の1つとして、Gebru博士の解雇も挙げられており、積極的な行動に打って出ない限り、社内改革は行われないことを実感したという。
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Gebru博士に続いて、またしてもAI倫理研究の女性が解雇される

2021年2月19日、AlphabetはAIの倫理研究の共同責任者だったMargaret Mitchellを解雇した。Alphabetによると、解雇理由は「ビジネス上の極秘文書と他の社員の個人情報をひそかに流出」させたためであるという。但しこれは、彼女はGebru博士を不当に扱った証拠を探っていたために、解雇されたと、言い換えることが可能である。
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Mitchellは「私は自分の立場を行使して、Googleに人種と男女の不平等に関する疑念を提起しようとした。こうして解雇されたことに呆然としている」と、Finantial  Timesの記者に語っている。

Alphabetの多様性に関する最新の報告によれば、社員のうち女性は3分の1以下で(2019年よりもわずかに減少)、米国の社員の黒人が占める割合は5.5%である(米国人口の黒人比率は13%)。​Alphabetに限らずハイテク企業の人種及びジェンダーの不均衡は常に指摘されている事柄である。但し今後は、労組結成に見られるように、株主以上に「モノ言う社員」の圧力は増大する可能性が高い。さらに、これは人種やジェンダー以外に、労働者の権利や企業の環境問題の取り組みなど、広範囲な課題が取り上げられる傾向にある。​
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https://diversity.google/annual-report/ 
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​AIに倫理的で公平な判断をさせるためには、多くの人間の力が必要


Gebru問題は、AIが持つバイアスの問題に、人々の注意を向けさせた。膨大な数の過去のテキストから学習するAIは、人種やジェンダーに関する過去のバイアスを取り込んでしまう。より公正な判断をするAIの開発には、時間と資金を犠牲にしてでも、人間のチェックを介在させる必要がある。

政治科学者Virginia Eubanksの2018年の著書『Automating Inequality: How High-Tech Tools Profile, Police, and Punish the Poor(自動化する不平等)』では、医療や給付金、治安関連の業務で用いられるAIシステムは、官民問わず、偏ったデータと人種的・ジェンダー的なバイアスに基づいて、不安定で有害な判断を下すという。また、AIシステムは判断に至るまでの思考回路がブラックボックス化されているため、たとえ判断結果が間違っていても、それを確認したり、異議を申し立てたりするのが難しいという。
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のAIは過去から未来を予想するため、バイアスが必ず存在する。この危険性を我々は認知すべきである

Gebru博士が論文で非難したツールは、Google検索システムで検索結果が表示されるまでの過程において、重要な部分を占める。このシステムは、我々の生活を効率的で便利なものにしてくれる。但し、AIは人間の活動や発言について莫大な量のデータを調べ上げて、そこからパターンや相関関係を見いだそうとする。いわば、過去の人間の動きから、未来を予想するという仕組みである。

これは誰もが思い当たるように、膨大な人種やジェンダーに関するステレオタイプ、偏見、差別が過去の我々の言動に存在する以上、それらのバイアスは当然AIに反映される。じゃあ、これを取り除くために、人間の介入や判断を取り込むとすると、どうなるか? 1つ目はその人間の倫理観念が本当に適性であるかどうかを誰が判断するのか? 2つ目は人間の介入によってデータ処理速度は低下してしまう、3つ目は費用がより大きくかかる、といったことが問題として、生じる。

この辺りを考え始めて、私はアタマを抱えてしまった。特に1つ目の「誰の倫理観念を適正と判断するのか?」が、重しのようにのしかかる。

2015年6月28日、NYのプログラマーが、アプリGoogle Photoにアップロードした、ガールフレンドとの写真(2人は黒人)が「ゴリラ」にタグ付けされた話は有名である。「ゴリラ」に限らず「イヌ」とタグ付けされた例もあり、その後Googleは「ゴリラ」のタグの削除やキーワードでの検索停止などの対応策を表明したが、抜本的な解決は今もされていない。

コロナ禍の米国において、特にコロナ発生源として中国が、前大統領の言動で煽られて、最近はアジア人へのヘイト発言や行動も事件化するほど目に付く。AIのバイアス問題は、様々な課題を私たちに突き付けてくるが、少なくとも、このAIのバイアスを持ちやすいメカニズムを理解して、多く人達がより偏見や差別のない言動をしていくしかないと思う。そのためにも、あらゆる場所における『Diversity &Inclusivity』が重要となり、企業内ではこの問題にしっかり立ち向かう必要がある。

困難な問題であるけれども、早急に解決しなければならない、非常に切迫した問題でもある。未来のために、今手を打つしかない。
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ひさみが選んだ&考えた言葉達㉝

3/14/2021

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​誰かに言われた「ひさみ語録をまとめてください」と。毎日様々な言葉がアタマをよぎるので、ここに記録していきたい。過去1か月間のまとめなので、大量です。
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    大柴ひさみ

    日米両国でビジネス・マーケティング活動を、マーケターとして、消費­者として実践してきた大柴ひさみが語る「リアルな米国ビジネス&マーケティングのInsight」

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