人々は州ごとの制限緩和をまだ信用していない 米国は5/4から州によって異なるが、コロナ禍による人々及びビジネスの規制緩和を実施し始めた。私の実感レベルは、まだまだこのパンデミックは収束とは程遠いし、自分自身が、次の感染数上昇の波を作る手伝いをしたくないということで、基本的には週に1度の食料品の買い出し以外は、不必要な外出及び人との接触は避けている。過去2か月間、毎朝6時起床、2時間自宅オフィスで働き、その後8:00から朝稽古(Jazzercise)をオンラインのオンデマンドで1時間して、また仕事に戻り、夕方17時には自宅のオフィスのデスクを離れる、といったルーティンを崩していない。 4/28-5/3の直近の調査では、一般の人達のコロナ禍に関する気持ちは、「最悪は過ぎたとする人が31%」、「最悪は今だとする人が30%」、「最悪はこれからやってくるとする人が38%」と、意見は分かれている。これはどこに住んでいるかという個人の居住エリア、さらにどんなコロナ禍による体験をしたか、など実感レベルによって、大きく異なる。 以下の表は、同調査で「自分が居住する州でどんなビジネスを再開すべきか?」という質問への回答である。再開を望むトップは、ゴルフコース41%で、以下は順に小売店舗34%、理髪店・美容院31%、銃販売店29%、レストラン内での外食26%、ネイルサロン25%、ジム22%、映画館劇場18%と続く。 ゴルフコースの41%は、戸外で運動しながら物理的にソーシャル可能だということで、2 mのPhysical distancingを取りながらエンジョイできるので、トップに上がる理由は分かる。但し、最初にパンデミックの影響が大きかったレストランに関しては26%と低い数字である。これは、飛沫が飛び交い空気感染の恐れが高いレストランに関しては、お客は行きにくいのが現状で、今後ビジネスを再開しても、実際に以前のように顧客が来るかどうかは難しいところである。また、今後も引き続き経済的な不安を抱える消費者は、自宅待機中に外食がもたらす価値以上に、自宅で食事をする楽しさ、快適さ、便利さ、経済性などを再認識した可能性も高い。 Panic buyingで新たに注目される急増した銃セールス 多分、日本の人達は、この表の4番目に入っている銃販売29%を見て、大いに首を傾げると思う。「なぜコロナ禍で銃を買いたいのか?」という疑問は、以下のNY Timesの月間の銃セールスの推移を見ると理解しやすいと思う。 コロナ禍によって「Panic buying」状態となったアメリカ人は、トイレットペーパーや缶詰のみならず、2020年3月のたった1か月で新たに190万の銃を購入した。これは過去の月間銃セールスの中で、2013年1月のObamaの再選と2012年12月小学生20人を含む26人が殺されたSandy Hook Elementary Schoolの大量銃撃事件に次ぐ、2番目に大きなセールス増となっている。当然に、銃購入の際のバックグランドチェックも急増しており、2/23から3/31までの銃セールスのレベニューは、対前年比792%増と跳ね上がっている。 アメリカ人は、ハリケーン・地震・竜巻などの自然災害、Obama政権誕生や再選(銃規制を主張していた)、更に学校やコンサートなどの大量銃撃事件などが起こるたびに、銃砲店に駆け込む。 アメリカ人の銃カルチャーは「自衛」という発想で歴史的にも深く根付いており、銃を所持することは憲法が保障する権利として、多くの人がそれを強く主張する。この銃カルチャーの根底に潜むサイコロジカルな感情の中には「政府ですら必ずしも自分を守る側にいつも立っている訳ではなく、時には自分達に襲い掛かる可能性もある。自分と自分の家族を守るために、自衛の手段として、銃は必要である」という歴史的に構築された政府への懐疑的な見方も潜む。 過去のパンデミックではここまで銃セールスは増加していなかった。 今回のパンデミックのサイコロジカルなプレッシャーーは、今までに例を見ない形で、人々を心理的に追い込んでいる。何故か? ここから私の考えだが、20世紀が構築した薔薇色の世界ともいうべき「グローバル経済及び社会」が如何に脆弱かということを、2020年コロナが立証してしまったからではないか? パンデミックは、「ヒト」と「モノ」の移動を停止させて、世界市場に大打撃を与え、原油や株価の暴落を引き起こし、「カネ」の流れも止めてしまった。その間、Fake newsやPropagandaも含めて「情報」だけは世界中を駆け巡り、人々の不安をより増幅させている。 今日発表された米国の失業データによると、先週更に320万人が失業保険を申請し、過去7週間で合計3,300万人以上が失業した。州によっては就業人口の25%が失業してしまったともいう。 医療崩壊も然りだが、2か月前まで現大統領は、米国の薔薇色の経済の強さと失業率の低さを謳歌し、己のリーダーシップが、この薔薇色の米国社会を牽引していると豪語していた。彼が描いた「砂上の楼閣」は、あっという間に崩れ、人々は今の生活、或いは3か月後の暮らしを、どのように切り抜けるのかと、異常な不安に苛まれている。これは人々が過去を振り返っても例のない状況で、アメリカというInstitutionが如何に脆く脆弱かという疑問はもたらし、政府や州や企業に頼れない以上「自衛強化(銃購入)」に走ると、考える人を創出してしまったのではないか? と思う。
メンタルヘルスの悪化も考慮すべき 私が一番心配するのは、こうした人々の不安を逆手にとって、それを更に煽り、「新たな敵(例えばアジア人へのヘイトクライム)」をこしらえて、暴力による解決を先導しようとする集団やグループの動きである。彼らは、言葉巧みに密やかに、恣意的な情報を流して、自分達の仲間として、獲得したい人達を誘導する。殆どの銃の所有者及び購入者は、武器としての銃というよりは、射撃やハンティングなどの趣味、或いは牧場や農場経営で野生動物から家畜を守る自衛のためなど、銃撃事件とは程遠い人達である。但し、そうした人達でも、コロナ禍で切羽詰まった人間に自宅を襲われるといった危険への備えは考えていると思う。 パンデミックはメンタルヘルスの弱い人達を、さらに不安に陥れる可能性があり、そうした人達が上述したグループなどと接触したり煽られたりすると、思いもかけない事件が起きる。DVの増加やオピオイドやその他の薬の中毒患者の過剰摂取も増えており、メンタルヘルスの悪化は否めない事実である。 様々な角度で、このパンデミックを捉え、俯瞰で見ながら、出来る限りPositiveな気持ちになる必要がある。「パンデミックは、必ず収束する」、このマントラを唱えて、Panic buyingといった行為は避けることを勧める。 最近2人の感染症の専門家の記事を読んで、思わず人類の文明と疫病の関わり方を考えた。以下の文章は、元国立感染症研究所室長の加藤茂孝さんと海外勤務健康管理センター勤務の感染症専門家の濱田篤郎さんの2人の分析記事、Wikipediaなどからの抜粋・引用・まとめで、自分がアタマを整理するために、書き留めておく。 人類史は感染症とのやり取りに彩られている。 人類史は、誰もが知っているように感染症との闘いである。歴史上、人類が大移動する時に、パンデミックが存在するコトは、多くの感染症の専門家に指摘されている。特にペストは、およそ300年周期で、有史以来過去4回のパンデミックを人類にもたらしている。 1) 6世紀の「ユスティニアヌスの疫病」(8世紀末迄続いた):東ローマ帝国のユスチアヌス帝が大ローマ帝国復活をかけて、侵略戦争を繰り広げている頃、首都コンスタンチノーブル(現イスタンブール)では、日に1万人近い人々が死亡し、東ローマ帝国の人口の40%の2,500万人が死亡。 2) 14世紀の「黒死病」(1340年代に始まり、オスマン帝国では19世紀半ば迄続いた):中世の黒死病は全世界で8,000万人から1億人が死亡。 3) 17世紀の「ロンドン大疫病」:1665年にロンドンで大流行して、年間7万5,000人、当時のロンドンの人口のほぼ4分の1が死亡。 4) 19世紀末から始まる4回目の大流行(20世紀迄続いた):ヨーロッパに達することはなかったが、アジア、アフリカだけでなくアメリカ大陸にも波及した。 4つのペストの巣窟 世界には、以下の4箇所のペストの巣窟(ペストサイクルが回転している地域)があり、この巣窟に人間が侵入したり、あるいはネズミがそこから大量に移動することで、流行は世界各地へと拡大していった。 1)アフリカ中部の大湖地帯:ここから6世紀のパンデミックとなる。 2) 中央アジアの草原地帯:ここから中世の黒死病の流行が勃発した。この時代は、モンゴル帝国により中央アジアに草原の道が築かれ、人間が巣窟へ容易に侵入できる状況になり、ペストの主な標的となるクマネズミも巣窟からヨーロッパ方面へ大量移動した。 3) 中国とミャンマーの国境沿いの山岳地帯:19世紀末の大流行はここから始まる。 4) 北米の砂漠地帯:4回目の世界流行の果てに新たな拠点を築いた。 ペスト菌の本来の意義は、ネズミの個体数を調整する生態系のメカニズム海外勤務健康管理センター勤務の感染症専門家の濱田篤郎さんがこうしたパンデミックが起こる原因を以下のように説明する。 「生態系の中で食料不足や個体数の過剰などがおこり、ある生物種の存続が困難になると、その生物種は別の生態系に移動する現象をおこす。さらに、それでも存続できなくなると、集団自殺行動をとることもある。ネズミであれば、次々と川に飛び込んで自殺するわけだが、これは「ハーメルンの笛吹き男」に出てくる状況と極似している。個体数が増えすぎたり食料不足になると、ネズミという生物種を存続させるために、ペスト菌がネズミの殺戮を開始する。すなわちペストサイクルが過剰に回転を始める。こうして、人間がサイクルに接触する機会も増加し、それとともに、ネズミは移動という方法をとるため、巣窟の外にある人間社会にも流行が拡大する。これが300年周期で繰り返される原因ではないか?」 黒死病がもたらしたものは? ルネサンスへの道、ペスト医師の登場 黒死病の頃には、ペストはノミの吸血感染から空気感染に変化しており、当時の人々にとって、患者に近づくだけで感染し、瞬く間に死んでてしまうという現象は、恐怖そのものだった。患者に近づくと感染するという経験から、家族は看病をやめて患者を放置し、放置された患者は、まだ息をしている瀕死の場合でも、近づくのを嫌がる人達に、死体として処理され、生き埋めにされるという悲惨な状態が起きた。 の頃、ルネサンスの作家のボッカチオは、故郷のフィレンツエに戻るが、当時12万人の人口が僅かに2万人にまで激減した。ここで、ボッカチオは代表作の「デカメロン」、ペストに脅えて郊外に逃避した男女10人が語る好色艶笑譚を執筆し、極限の恐怖状態のため、快楽と官能的な喜びに溺れる者を描いた。 中世の大流行の後に、巷にはペスト医と呼ばれる医者が出現する。感染を防ぐために、彼等が纏う服装は、全身を皮の衣服で包み、顔には覆面をかぶる。それは、鼻と口に鳥の嘴のような突起をもつ恐ろしい覆面だった。この嘴の部分には、空気を洗浄する目的で香の強い薬草を入れていた。目の部分には、視線を合わせないように覆いがされていた。 ペスト医の1人として、16世紀のフランスで名声を博し、予言者として著名なノストラダムスがいる。 彼は1529年に大学の医学部を卒業し、南フランスで幸せな結婚生活を送っていたが、間もなく妻と二人の子供がペストによって死亡してしまう。この試練を経て、彼はペスト医としての仕事に没頭する。ペストの予防に関しても、土葬をやめて火葬を推奨するなど、数々の画期的な提言を行っている。
ユダヤ人迫害、宗教改革、農地改革と社会が大きく変化していった 当時ペストの原因は誰もわかっておらず、悪魔が毒をまいたと言われていたが、悪魔は見えないし、毒も見えない。そこで人々が目をつけたのがユダヤ人だった。ユダヤ人は教典に忠実で、規則的で禁欲的な生活を送っていたため、ペストにかかる人が少なかった。それを盾にとって「あいつらは生き延びている。きっと毒をまいたに違いない」として、ユダヤ人を襲い始めた。当時からすでに裕福であったユダヤ人はお金も奪われて、ポーランドやリトアニアに逃げた(逃げたユダヤ人の子孫たちが、その後ナチスドイツによって迫害される)。 またキリスト教のローマ教皇の全盛期であったが、そのローマ教皇が祈ってもペストは治まらず、医学担当の神父たちも全然治せないといった現実に対して、人々は不満を持ち始め、それはその後の宗教改革へとつながる。 土地制度は当時は荘園制で、地主(領主)が農奴に土地を貸し付け、農作物を納めさせており、農奴はいわば奴隷的な身分だった。しかし、ペストにより農奴が一気に減り、荘園制が次第に維持できなくなり、農奴は待遇改善を要求し始め、後に賃金を得て労働する賃金労働制へと移行していく。 このようにペストがもたらした社会への変革は、中世から近世へと移行する大きな原動力となり、今と違って、社会は100年から200年かけてゆっくりと変わっていった。 パンデミックは、結局人間社会の大変革を強いるトリガーとなる 歴史が物語るように、パンデミックによって、人々は従来の既得権に守られた既成概念や因習・旧習など、「変えられないと思っていたものを変える」コトが可能となる。加藤茂孝さんは、今回の新型コロナは人間にとっては厄介であるが「賢いウイルス」だという。 過去のSARSとMERSは感染するとみんな重症になり、どこに患者がいるかすぐにわかり、その人を隔離すれば、それ以上広がらなかった。だから、どちらも数カ月から半年で終息した。ところが今回の新型コロナは、重症化するのはわずか20%で、あとの80%は症状がないか、あっても軽い。そうすると、どこに患者がいるかわからないから隔離できず、その間に世界中に広がってしまった。私は欧州で広がり始めた段階から、このウイルスは流行を繰り返して、最終的には人類に定着すると思っています。定着とは毎年流行するということです。言い換えれば、流行しても誰も意識しなくなる。そうすると、次第に集団免疫が確立していきます。みんな免疫を持つようになり、流行する規模が減って、最後には風邪ウイルスのように流行しても誰も意識しなくなっていくでしょう。今のように大変なのは今年1年、あるいは来年もいくか。いずれにせよ、その1、2年の話だと思います。 ポストコロナは人類にとってのOpportunityだと思う 英語で隔離や検疫を意味する「quarantine」は、イタリア語の「40日」という言葉が由来。中世の黒死病のパンデミックの頃、ベネチアでは、船が港に到着しても、40日間は港の外に待たせて、船の中の様子を観察したことから始まった。この意味は感染症を考える時に、大きな意味を持ち、その後その実施活用によって、多くの人達への感染を防いでいる。この例をひくまでもなく、2020年に起きたこのコロナ禍は、21世紀に生きる人としての生き方や暮らし方、働き方、社会構造、経済構造、物流、環境などなど、全ての側面で、みんなが立ち止まって考える機会を提供している。
でも、これはとっても大切なことで、まず真剣に考える、コトから始める。今まで直視するのが嫌で、目を背けていたことを、辛くても見る必要がある。例え、経済的には失業や倒産といった厳しい試練に立ち向かうことを余儀なくされても、それを乗り越える知恵を絞る時が来ている。 自戒を込めて、今はそう思っている。知恵を絞って、ここを乗り越える。パンデミックは必ず収束する、それが1年なのか2年なのか今は分からないけれども、その後には必ずチャンスが待っていると思うし、それを信じている。 2005年5月、私と夫を含めたクルー6名で、36フィートのセーリングボートで、サンフランシスコからマウイ島まで、太平洋半分横断セーリング航海をした。航海は15日間かかり、JaMの私のビジネスパートナーとのコミュニケーションは、SSB(Single Sideband) のRadio (無線)によるEmail(Sailmail.com)とハム無線の交信となり、定期的に陸にEmailで連絡をとり、航海をブログしてもらった。以下は当時の航海のブログで、これらは単発として私のブログサイトの「hisami.com」に上がっているが、ここで改めて1つの記録としてまとめた。 太平洋を半分横断するセーリング・アドベンチャー(2005年4月24日) 突然ですが、太平を半分横断するセールボートの航海に出かけます。5月20日にサンフランシスコを出発して、15日間かけて、6月4日ぐらいにハワイに到着する予定です。36フィートのセールボートで、クルーは、ボートオーナーとスキッパー(船長)を入れて、男女3人ずつ合計6人です。夫の所 属するClub Nautiqueのメンバーから、このアドベンチャーの誘いがあり、2週間以上もJaMの仕事から離れる不安もありますが、そうそうないチャンスなので、 参加することに決めました。4月20日、第1回のミーティングもボートで行い、オランダ人のオーナーと、今回のスキッパー(太平洋を横断した経験のあるキャプテン)にも会って、1ヶ月後の航海のた めの準備を開始しました。セールボート自体もオーシャンを航海するために、いろいろな装置をインストールしなければならず、陸上とのコンタクトは、SSB ラジオによるEmailの転送(Sailmail.com)と、ハム無線を使った交信です。ボートのオーナーは、自分の会社の秘書と無線による交信をセットアップするので、私とビジネスパートナーとのコミュニケーションも、オーナーの秘書の無線を通じてリレー方式で可能となります。 5月20日は、堀江健一さんの世界1周単独無寄港の日本帰国予定日でもあり、その日にサンフランシスコを出発する私は、彼との不思議な縁を感じます。今回は日本からオーナーの友人の女性も参加するので、日本女性2人が同時に太平洋を半分渡るということになります。この私のアドベンチャーは、これから逐次、ブログに書いていこうと思います。 今、夫と私の最大の関心は、15日間、いかに水の使用を押さえるかと食料の保存に関してです。水の確保は非常に重要な問題で、シャワーも3~4日間に1回 ぐらいしか使えず、毎日Baby Wipeで身体を拭くという生活(昨晩は夫が買ってきたBaby Wipeを試しました。顔が赤ちゃんくさいにおいがしました)になります。また今朝もJazzerciseで1時間15分汗をびっしょりかいてきて、夫の つくってくれたオムレツを食べながら、食料の真空パックについてディスカッションしました。これから1ヶ月間、いろいろな技術を試しながら、この水問題と 食糧問題の答えを見いだしていきます。 今でも充分、原始的でワイルドな私ですが、このアドベンチャーが終わった後は、ゴキブリ以上にどんな環境でも適応可能な人間になりそうです。 太平洋半分横断航海の計算式(2005年4月26日) サンフランシスコからハワイまでの距離は、2091*海里(Nautical Mile)です。1日平均9ノットでセーリング出来たとすると、24時間ノンストップで、1日に216海里進むことが出来ます。この計算でいくと、9.4 日でハワイまで達しますが、8ノットあるいは7ノットで計算する方が現実的なので、多分12日間あるいは14日間で、太平洋を半分横断することになると思 います。仮に14日間で横断できたとすると、336時間のノンストップ・セーリングを意味します。この場合、我々クルー6人は、2時間ずつ以下の3つの任 務があります。
これが終わると12時間のOff Timeとなり、自由行動(睡眠を含む)が可能です。このローテーションを繰り返すので、私たちの1日は通常の24時間から、18時間を1日の単位とする 生活となります。今まで、1日を18時間で考えて行動したことがないので、これがどういうことになるのか、さっぱりわかりませんが、面白いなとひとりで興奮しています。夫はNavyの原子力潜水艦のオペレイターでしたので、この辺のことはお手のもので、嬉しそうにいろいろ話してくれます。 満月も航海中にあるので、太平洋の真ん中で、満天の星を見る楽しさを考えると、ワクワクします。 *海里、浬(かいり、sea mile, nautical mile)は、距離の単位。海面上の長さや航海・航空距離などを表すのに使われる。地球の大円上における1分の長さとして定義されており、その長さは 1852メートルである。この定義は、1929年にモナコで開かれたInternational Extraordinary Hydrographic Conferenceで採用された。それまでは、アメリカおよびイギリスで6080フィート、すなわち1853.184メートルという値が用いられてい た。海里は赤道上における1分の長さであるので、海里は子午線上での緯度の差として表れる。単位表記はM , nmまたはnmiである。nmはナノメートルの意味としても使われるが、使用される状況が異なるので、実際には混乱はほとんど生じていない。毎時1海里の 速度をノットという。すなわち、1ノットは毎時1852メートルである。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 航海中のブログの代理人 明日から6月13日までオフライン(コンピュータ接触なし)になりますが、太平洋上と陸地とのコミュニケーションは、SSB(Single Side Band)のRadio(無線)によるEmail(Sailmail.com)とハム無線の交信となります。定期的に陸にEmailで連絡をする予定なので、セールボートの位置情報を、JaMのインターンシップの将さんに(彼もJaMのインターンシップのブログをやっています)代理で、このブログページに日本語であげてもらう予定です。私の太平洋上のトラッキング情報となりますので、興味のある方はのぞいてください。 このブログを始めてから、「なぜこんなにブログは普及したのか?」と考えましたが、「誰でも簡単にオンラインで情報発信が出来る」、これにつきると思います。実際にHTML化なんて考えただけでもアタマの痛くなる私にとって、いつでもどこでも誰にも頼まずに、簡単に情報発信できてしまうことは、最大のブロ グの魅力です。 「簡単は、強いぞ!」 これが21世紀のビジネスのキーワードです。エンドユーザは常に簡単で使い勝手の良い製品やサービスを求めています。彼らの「目線」で製品開発やマーケ ティングをしないと、製品の良さは届きませんし、ギークにしかわからないような差別化は、ビジネス上全く意味がない、と言えます(自己満足)。 また、別な視点から見ると、このブログによって、「個人が、パブリックに簡単に情報発信出来る機会」が与えられたことになります。現在のソフィスティケー トされた情報検索では、ブログ情報はコンテンツとして容易に検索されますし、その質は玉石混淆とは言いながらも、企業や組織が発する情報量以上に大量の情報が流されています(現在世界中で、毎日2万のブログが新たにクリエイトされています)。ここでもう一つのビジネスのキーワードは 「コンテンツは、強いぞ!」 ということです。人は単なる定型的な情報以上に、「情熱的な情報」に惹かれます。「情熱」には必ず「真実のストーリー(体験や実感に基づく)」の裏付けがあり、人々は直感的にその真偽のにおいを嗅ぎわけて、「Real Voice」を見つけます。これがブログの最大の強みです。 てなことを書きながら、私はブログを大いに楽しんでいます。特にブログページにコメントはなくても、Emailや口頭で多くの方たちが読んで頂いていることがわかり、感謝しています。また昨日は、私の友人がブログを読んで、太平洋半分横断航海のことを知り、我が家にOn Voyageのギフトを届けてくれました。その時、彼女が最近ビジネスを始めたことを知り、私はさらに大感激しました。久しぶりに話した彼女は、2年間の フラワーアレンジメントの修行(オラクルのCEOラリー・エリソンの有名な日本邸宅の生け花を、彼女はアシスタントとして、毎週やっていたそうです)の末 に、自分のビジネス(Mi Flora) を立ち上げました(オラクルのCEOがフラワーアレンジメントのビジネスの立ち上げのストーリーに絡むなんて、これこそシリコンバレーならではお話しで す。笑)。ウェディング用フラワーのデザイナーとしてスタートした彼女は、私のブログページへのコメントで、「ひさみ姉さん」と呼びかけてくれて、妹のいない私は、その言葉にとっても嬉しくなってしまいました(Maiちゃんありがとね)。 新たな出会いや旧友とのコミュニケーションの復活など、ブログ効果は確かに私に現れています。 航海4日目&5日目(Day 4 & Day 5) 太平洋半分横断セーリングに挑戦する大柴ひさみに代わって、「ひさみの冒険」ブログのアップデートを行う将です。大柴ひさみとその旦那さんから届くシーメールにもとづいて、航海中の状況や現在の通過地点をほぼ同時進行でお伝えします。 航海4日目(Day 4) セーリング開始後の数日は、25-35ノットの風で海も荒れ、セーリング以外は食べる事と寝る事しか出来なかった。現在のポジションは、33deg. 49.26 min. N 133 deg. 54.47 min W.。ほぼサンディエゴから800海里西に位置している。 Calm spotに当たる昨夜までの間は、時間的にもとても良い感じで進む事が出来た。今までのトータル航行距離は643マイル。一日平均160マイルほどの速度で進んでいる。 “Nothing to see but ocean.” Hisami S/V D’uphoria 航海5日目(Day 5) 天候は良好でとても心地良い。しかし、パシフィックの位置において今のところ風がほとんど吹かず、モーター無しでは3-5ノットしか進む事が出来ないため、一日中モーターをつけている事もある。風が吹くことを願う。 Hisami S/V D’uphoria 航海7日目(Day 7) サンフランシスコを出発してからというもの、セーリングの「冒険」によって、今までの生活が画期的に変わった。この航海で考えるていることといったら、 「寝る事」「食べる事」そして「風の動き」がほとんどだ。ボートに乗っているひとりひとりに役割が与えられていて、1日を基本的に12時間単位で過ごして いる。6時間のワークは、舵取り、セールの調整、見張りに費やされ、そして6時間の就寝を取る、という計算である。 昨晩舵取りをしている時に、満月を海の上から見る事が出来た!それはまるでシャンデリアの様に、煌々と輝いていた。真夜中でも、海上にあるすべての物を見る事が出来たくらいだ。 もう2日間も風がない。「WE WANT BIG WIND」。 P.S. 昨日パシフィックオーシャンにおいて、iPodで音楽を聴く事を初めて体験。 航海7日目(Day 7) 今は太平洋時間で15:00。今回はこの船旅についてもう少し詳しく書いてみたいと思う。 私たちクルーは常に何らかの役割を持っており、責任を持ってそれらを行っている。前回も書いたとおり、1日は12時間単位で区切られている。6時間はワー ク(舵取り、セールの調整、見張りをそれぞれ2時間ずつ)、そして残りの6時間はオフ(就寝、料理、読書等に使われる時間)にと費やされる。 料理は、船にいる皆がローテーションで行っている。通常、夕食は皆で食べるため、その時間帯にワークを行っている者は2時間のワークが1時間になり、皆が 一緒に食事ができるようにしている。また、これによりそれぞれが毎日のワークを行っている時間帯を少しずつずらす事ができる。このワークの短縮を船員用語 で「Dogging the Watch」という。 サンフランシスコを出発してから、何隻かの船と遭遇した。4日前にはBreak Bulk Cargo Ship、昨日はAutomobile Transport Vesselを見た。それらの船はかなりのスピードで進んでいるため、衝突を避けるためにも、船にあまり近づかない様に心がけて進む事が重要だ。 昨日は船の上から釣りをした。16:00頃に初めてマグロを釣るチャンスがあったが、逃がしてしまった。それから30-45分後にまたチャンスがやってき たが、それもうまくいかなかった。この2回の失敗で皆は釣りに真剣になり、ついに3回目のチャンスでは、かつおを釣り上げる事ができた。おかげで昨晩はかつおの刺身、今日のランチにはかつおの照り焼き、と美味しい食事ができた。 1日に数回はAlbatross(アホウドリ)に遭遇する。今日は鳥達が あまりにも魚釣りのためのエサを狙って騒いでいたので、釣具一式をを引き上げた。 セーリングを開始したサンフランシスコ周辺にいた2-3日は、風がとても強く吹いていて、風の中へセールをしている感じであり、ラフな日々だった。 Point Conceptionを過ぎたあたりから風のコンディションがどんどん良くなり、いい感じでの冒険になり始めた。しかし、そう思ったのも束の間、今度は風の動きがほぼ完全になくなってしまった。そのため、かなりの間モーターを使って進むことになってしまった。しかし、そういう状況であったからこそ、各自それぞれ身の回りの整理をしたり、ボートの片付けをしたり、身体を休めたり、皆で楽しい時間を過ごしたりする時間に当てることができた。 昨晩から風の動きが出てきたため、いいセーリングができている。今現在我々は875マイル(2,040マイルの内)進んだ。多分、明日の夕方にはHalf-Way Celebrationをする事ができるであろう。 Hisami S/V D’uphoria 航海10日目 (DAY 10) 肌の黒さとグローブの汚れが正比例 ますます、「色黒化」する私と、手にはめているグローブの汚れは、見事に正比例しています。 航海11日目(DAY 11) 自然の畏怖を実感 航海も11日目に入り、日中の温度はかなり上がってきました。クルーも海上生活に、少しずつくたびれてきて、何とか早く進みたいと、風のことだけが気になっていた頃です。 朝日が昇る時は、本当に一日がドラマティックに始まる予感を感じさせ、太陽に心から感謝したい気持ちになります。 太古から地球上の多くの人たちが、「自然を畏怖」したのは、当然だと思います。こんなに凄いシーンを、毎日じっと見ていると、その気持ちが充分実感できます。 航海12日目(DAY 12) 薄着で現す「マウイは近いぞ」気分 ますます、日々暑くなっていく中で、薄着で、舵を取るのが 日常化してきました。「マウイは近いぞ」という思いを、薄着に込めて、みんな気分を盛り上げています。 航海13日目(DAY 13) 水着だ、水着だ! マウイはもっと近いぞ とうとう、水着で、舵を取る日々となりました。「夏、夏だ! 水着だ、水着だ!」、「マウイは近いぞ!」と、わめきながら、気持ちを大いに盛り上げていました。 しかし、この辺の時期は、みんな早くハワイに到着したくて、けっこう気分的にはしんどい時期でもありました。 航海14日目(DAY 14) ALMOST THERE この日は、完全にみんな「Almost there(あと少し)」モードとなり、ラストスパートで、気分が浮かれ出した頃です。明日は、陸(おか)に上がれると信じて、Happyな気分の私です。 この日の夜中に、あのアクシデントが起きました。 航海15日目(DAY 15) 水先案内人のイルカに感謝 恐怖の夜が明けて、最終日マウイ島を目指しています。初めてみたマウイの島の神々しさは、一生忘れることができません。 夜中の3時にマウイ島沖50海里で、およそ35ノットの強風に見舞われ、ジャイブを繰り返して、メインマストが折れてしまいました。そのため、モーターエ ンジンによって、翌朝カフルイの商業港に緊急帰港しました。事故が起きた時点では、ホノルルの湾岸警備隊に連絡を取り、最悪の状態を予想して、緊急体制に 入るほどの状況でした。もしあと1日早くこれが起こったならば、セールボートを捨てて、救助を仰ぐ結果になったと思います。6人のクルーメンバーは怪我も なく、無事に陸(おか)に上がれたことに、ひたすら感謝しています。 カフルイに近づくと、イルカたちがボートの周囲を取り囲み、太古のPolynesianが受けた同じ歓迎をうけることになりました。水先案内人のイルカたちは、本当に楽しげにジャンプしたり、潜ったりして、私たちと遊びたがっていました。 フィナーレと結果カフルイに到着して、航海の前に、友人たちに贈られたシャンパンを手にして、ちょっと悲しげな表情の私です。商業港への緊急帰港で、ドッキングしたのは巨大なタイヤで、後ろにはタグボートが横づけれており、思いも寄らないハワイ到着となりました。 「結果、得たことは何?」 「この太平洋半分横断の航海を経て得たことは?」と聞かれて、私の答えは「Lots of water!(想像を絶する巨大な海)」と「Be patient(忍耐)」です。太平洋の真ん中では「風を待つ」、「風をつかまえる」、これしか陸(おか)に到着するための方法はありません。人間がコントロールできることは、本当にたかがしれています。しょっちゅう日米間を飛行機で往復し、長距離通勤などとうそぶいていた私は、その自然のスケールと凄さを完全に忘れていたようです。太平洋の海が教えてくれたことは、月並みな言い方ですが、「自然への畏怖と感謝」を実感できたこと。さらに以下のような素晴らしい「自然の美しさ」を眺め、感じて、一体化できたことにつきます。
夜中に舵を取っている時は、「夜の底知れぬ暗さ」に身を置いて、羅針盤が指し示す方向だけを見ながら、過去の出来事が走馬燈のように浮かんできました。米国移住以来10年、いつも走り続けていた私は、この太平洋の真ん中で、初めて立ち止まり、自分の過去を振り返り、その不思議な感覚に身を任せることができました。 13日にSFに戻って以来、またひたすら走り始めた私は、あの太平洋の真ん中の「夜の底知れぬ暗さ」の中で、立ち止まった奇妙な浮遊感と、「ボート自体がサーフボードと化して、波に乗り続けた感覚」が、得た結果として、とても大事だったような気がします。
Facebookの仲間達からバトンが渡されて7日間ブックカバーを開始。これは備忘録として記録しておきたい。 最後は私の大学時代の広告研究会の仲間の荻原浩の『二千七百の夏と冬』
1学年下の荻原君(当時は何時もそう呼んでいた)が、作家になったのは1997年、私がすでに米国移住した後だった。日本出張時にそれを知り、彼は大学卒業後、私と同じように広告代理店に入社し、その後フリーのコピーライターをしていたことを知っていたので、作家になったと聞いても特に驚かなかった。 早速最初の小説『オロロ畑でつかまえて』を読んで、物凄く驚き、物凄く嬉しくなった。「こんなユーモアに富んだ面白い小説を書けるんだ!荻原君、凄い凄い!」と心から喜んだのを思い出す。その後、彼の作品をかたっぱしから読み、どれもこれも独特のユーモアと展開の妙にあふれる作品で、大いに彼の小説をエンジョイした。 彼とは一度だけ作家になりたての頃、2人で渋谷で会ったけ。「シバさん、作家をやっていくって大変なんです。書き続けることが。何とかやっています」と昔と変わらない「控えめな荻原君」がそこにいた。そんな彼が直木賞まで受賞する(2016年『海の見える理髪店』)とは、「世の中というのは、実に、いとをかし(趣きがある)」としか言えない。 今日選んだ『二千七百の夏と冬』は、多分日本初の縄文人を主人公にした時代小説だと思う。私は、彼の想像力の羽ばたき方が実に素晴らしいと思う。また批判もあるけど、縄文時代の動植物の名前や動詞を縄文語で表現したり、縄文人と弥生人の言葉の違いで会話が成立しない部分を「****(伏せ字)」にしたり、従来の小説に見られない工夫がある。私は、この小説の中での「金色のクムゥ(ヒグマ)との戦い」が、個人的には大好きである。 プロットは2011年東日本大震災の爪痕が残る関東のあるダム工事現場で、縄文人の骨が発見された。発掘が進むにつれ、その人骨は少年であり、その手の先にはもう一体、少女の人骨が埋まっていることが判明する。しかも、それは弥生人のものであった。物語は2011年の女性新聞記者・佐藤香椰と、縄文時代の少年ウルクの物語が交錯する対位法の形式で進む。 私は荻原浩の作品を殆ど読んでいて、全部大好きだけど、あえて選ぶとこんな感じ。『オロロ畑でつかまえて』、『なかよし小鳩組』、『噂』、『母恋旅烏』、『明日の記憶』、『愛しの座敷わらし』、『オイアウエ漂流記』、『金魚姫』 【目的とルール】 ●読書文化の普及に貢献するためのチャレンジで、参加方法は好きな本を1日1冊、7日間投稿する ●本についての説明はナシで表紙画像だけアップ(書いても良い) ●都度1人のFB友達を招待し、このチャレンジへの参加をお願いする 【バトン】 バトンは、私の仲良し友達の1人Yoko Sakanoue さんに渡します。彼女とも長いお付き合いで、視野が物凄く広いので、何を選ぶかが楽しみ!お願いします。 #7days #7bookcovers #BookCoverChallenge #day7 Facebookの仲間達からバトンが渡されて7日間ブックカバーを開始。これは備忘録として記録しておきたい。 【7日間ブックカバー】6日目 - 隆慶一郎の未完の大作(絶筆)『花と火の帝』
兎に角、私は隆慶一郎の時代小説が大好きで、殆どを読んでいる(それも1冊1冊を何回も何回も読んでいる)。 隆慶一郎は1984年60歳の時に小説家としてデビューした。それまでは本名の池田一朗で脚本家として映画『にあんちゃん』、テレビドラマ『鬼平犯科帳』などを手掛けていた。彼は60歳から66歳までたった6年という短い期間で、私も含めて一度でも彼の小説を読んだら、彼の作品の虜になるような小説を14冊書き遺している。私が特に好きな作品は『吉原御免状』『かくれさと苦界行』『一夢庵風流記』『影武者徳川家康』『捨て童子・松平忠輝』『見知らぬ海へ』 この小説は、天皇の御輿を担ぐ八瀬童子の岩介(天皇の隠密)と後水尾天皇を主人公として、徳川幕藩体制を固めようとする2代将軍徳川秀忠との、知らざれざる確執と攻防を描いたもの。 八瀬童子とは、建武の頃、後醍醐天皇が足利尊氏に追われて、比叡山に潜行した際、輿をかついだのが縁で、天皇家との結びつきを強め、禁裏の駕輿丁を務めるようになり、明治天皇と大正天皇の大喪でも、その柩をかついでいる。 「鬼の子孫」と呼ばれてきた八瀬童子の中でも、主人公の岩介は、一族がかつて持っていた太古の異能を色濃く血に受け継いだ「本卦還り」。さらに後水尾天皇は、幼少の頃から歴代の天皇が持つ神秘(呪術に近い)のチカラを持ち、「道々の輩(農業民以外の自由な漂泊者たちー山の民、漁民、芸能民、承認、手工業者、商人、遊女、山伏、呪禁者など)」によって熱い支持を受けていた。これを潰しかかる徳川幕府は、柳生忍群を主力として、様々な暗殺者を禁裏に差し向ける。 岩介の八瀬の暗号のような言葉と、後水尾天皇が語る京言葉(今まで御所言葉で話す天皇は読んでいたが、京都弁で話す天皇は初めて)が何とも言えず、全体の小説のトーンを柔らかく更にリアリティを感じさせる。 隆慶一郎の時代小説は、歴史の裏に潜むロマンを想像力によって大胆に膨らませて常識をひっくり返し、膨大な資料にあたった上で網野善彦による網野史観を取り入れている。緻密で美しい文章と綿密な考証と壮大なスケールで描かれる伝奇的な世界観は、私を魅了する。彼の遺された作品を全て読まれることをお勧めする。 PS:この『花と火の帝』は、残念ながら未完に終わっており、この続きがぜひ知りたいと、今でも熱望している。思わず、自分なりに解釈して、書こうと思ったくらい。そこまで自分も怖いもの知らずではないので、やってはいないけど。 【目的とルール】 ●読書文化の普及に貢献するためのチャレンジで、参加方法は好きな本を1日1冊、7日間投稿する ●本についての説明はナシで表紙画像だけアップ(書いても良い) ●都度1人のFB友達を招待し、このチャレンジへの参加をお願いする 【バトン】 バトンは、私の仲良し友達の1人 Toru Saitoさんに渡します。長いお付き合いで、とてもはっぴいで楽しい私の友達です。お願いします。 #7days #7bookcovers #BookCoverChallenge #day6 Facebookの仲間達からバトンが渡されて7日間ブックカバーを開始。これは備忘録として記録しておきたい。 【7日間ブックカバー】5日目 - イサク・ディーネセン(Isak Dienesen)の『アフリカの日々(Out of Africa)』
昨日ヘミングウェイの遺作を紹介したけど、ディーネセンは、ヘミングウェイが20世紀最高の「Story teller」と評し、実際1954年ヘミングウェイは彼女とノーベル文学賞を争い、彼が受賞した。 1885年生まれの彼女は、28歳の時にスウェーデンの貴族と結婚し、本名はカレン・ブリクセン(Baroness Karen von Blixen-Finecke)。但し20世紀初頭という女性の地位が低い時代、小説は男性名のペンネームのディーネセンを使っていた。 1937年に出版された 『アフリカの日々』は、1914年から1931年の17年間の彼女のアフリカでの農場経営を元に書かれているが、1985年に映画化されたハリウッド映画『愛と哀しみの果て』とは大きく異なる(私は小説を先に読んで映画を見たのでかなり驚いた)。彼女はアフリカ時代に夫と離婚し(夫から梅毒をうつされて後年病気に苦しむ)、単身で農場経営を試みるが失敗し、デンマークに帰国した。 小説は、アフリカの風景、人々、動物たちに対する彼女の畏怖と愛情を、独特の切れ味鋭い描写で綴る壮大アフリカ叙事詩で、映画のようなロマンチックなお話ではない。 私が好きな理由は、昨日紹介した『海流のなかの島々』も然りだけど、文章を読み進めると、アフリカの大地の匂いを実感出来るところ。また叙事詩と言っていいほどの詩的表現も実にいい。 私の夫はデンマーク系のアメリカ人で、デンマークへの親近感もあるが、それとは関係なく、彼女の他の小説も含めて(『七つのゴシック物語』、『バベットの晩餐会』)、読んで、物凄く面白い。ヘミングウェイに言われるまでもなく、彼女は「Story teller」として、本当に20世紀を代表する作家だと思う。 PS:映画『愛と哀しみの果て』の日本公開時に英語読みの「アイザック・ディネーセン」という誤表記が広まり、定着した(アイザック=英語読み、ディーネセン→ディネーセン=デンマーク読みの誤表記) 【目的とルール】 ●読書文化の普及に貢献するためのチャレンジで、参加方法は好きな本を1日1冊、7日間投稿する ●本についての説明はナシで表紙画像だけアップ(書いても良い) ●都度1人のFB友達を招待し、このチャレンジへの参加をお願いする 【バトン】 バトンは、私の仲良し友達の1人 Qanta Shimizu さんに渡します。日米両方で会っているけど、1月にはSt Georgeの我が家にもCESの帰りに来てくれた。もう体調は良くなったと思うので、お気に入りの本の紹介、お願いします。 #7days #7bookcovers #BookCoverChallenge #day5 |
大柴ひさみ日米両国でビジネス・マーケティング活動を、マーケターとして、消費者として実践してきた大柴ひさみが語る「リアルな米国ビジネス&マーケティングのInsight」 Categories
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