1. 不浄な、とても不快な、気持ち悪い、不愉快な、陰険な、非常に不潔な
2. 扱いにくい、やっかいな、嫌な、意地悪な、悪意ある
3. ひどい、危険な
4. みだらな、わいせつな
注:「Nasty Women Gets Shit Done」の「Get Shit Done」は「素早くやってしまう」という意味。
Sexismは、その個人が育ってきた時代や環境など、社会的な要因が大きく作用して、無意識下にステレオタイプな女性への見方が形成される。この無意識下という点が厄介な部分で、時には本人はそのステレオタイプな見方が「女性への蔑視や偏見」であるというコトに気がつかない場合もある。アメリカの現大統領の発言と行動は、Sexismを活用して、意図的に彼の支持母体となっている人々が喜びそうな発言で、支持層の無意識下の「女性への蔑視や偏見」を助長・鼓舞して、自分の再選への足がかかりを得ようとしている。
彼は、また女性即ちSexismに、Women in colorというRacismを加えて、白人以外の女性政治家達を貶めるというコトもしばしば行っている。その際に使われる形容詞は、"Nasty, Mean and Angry"という3つで、これにBlack womanという言葉を添えて、彼に反対する影響力を持つ女性達にラベルを貼りつける。
調査会社Kantarが実施した調査では、マーケターの大多数が、自社は人間をステレオタイプに描いていないという。しかし英国と欧州で出稿されている広告の約68%が、女性を「感じの良い」または「優しい」姿に描く一方、「権威ある」女性を登場させている広告はわずか4%しかないことが、同じ調査で判明している。
英国の広告主協会(ISBA)と広告業協会(IPA)、テレビ広告を事前承認する非政府組織Clearcastは、広告に描かれる主観的なジェンダーステレオタイプの削減を図り、ジェンダーニュートラルな広告コンテンツの普及を図ろうとしており、昨年以下の2つの広告の差し止めを行ったことで話題を集めた。
ASAらの判断はやり過ぎとの意見も出たが、ASAは以前にも広告業界の義務として、業界が広めるメッセージは、消費者についての単なる決めつけではなく、オーディエンスに関する真のインサイトに基づくものであるべきだと訴えており、ジェンダーニュートラルの重要性をこうしたステレオタイプなコンテンツをなくすという指導において実行しようとしている。
私個人の経験で言うと、今から40年以上前、新入社員だった私は、同期の男性社員達と仕事帰りに飲食をしながら仕事のことで議論となり、すでに酔っていた同期が「おまえが男だったら、この場で殴ってやる」と言われた。私は「男に変わる訳はないんだから、今殴ればいい」と言い返したら、同期はブルブルと口を噛みしめて一言もなかった。彼とは本当に仲が良く、その後何でも話し合う仲であったが、彼の言葉の端々に「おまえが男だったら」というニュアンスが常にあり、彼は、無意識に潜むステレオタイプな女性像を捨てるのにかなり苦労していたのを思い出す。
その後、広告代理店の初の女性営業として、私は常に"Aggressive and Ambitious”とネガティブに評されていたが(これを日本語に言い換えると「女のくせに生意気だ」)、仕事の実績で社内での評価を固めたため、その後は誰も私を女性としてのラベルを貼らなくなった。
注:当時広告代理店の女性は、短大卒のみを雇用し、基本的にはクライアントのお嬢さんで、職務はお茶くみ・コピー取り・電話番がメイン。私だけが一切クライアントで関わりのない、4年制卒の女性社員で、人事部長から「大柴さん結婚したら退社していただきます」と釘を刺された。
- Female head of government:イエロー
- Female head of state:ブルー
- Female head of state/government as the only elective position:ライトグリーン
- Both female head of state and female head of government (separate posts):グリーン
- Female prime minister or state counselor as deputy to the combined head of state and government:ライトブラウン
Sexismとは実に愚かしいと思う。その矛先は女性に向けられることが多いが、男性へのステレオタイプな見方も横行している。「男とはかくあるべし」のような枠で男性を見ることもSexismである。
私は日本の広告代理店時代に、女性営業として初めて部下が得た。
彼は新入社員で入って来た男性で、私は1-2年経った後だ思うが、彼に「初めての上司が女性でやりにくかったでしょう?」と聞いた。
彼は「いいえ、大柴さんを一度も女性だと思ったことはありませんので、全然問題はありませんでした」と答えた。
これを聞いて、私は内心「やった!」と小踊りしたことを思い出す。この答こそ、私が40年前に望んたことである。私のアタマには、常にジェンダーニュートラルな見方と行動が大切、という認識が強く、それを実践できたことの喜びは大きかった。
「地球は球体であるが、世界はフラットである」私は常にこう考えている。