この題名は、確かに村上春樹さんの「羊をめぐる冒険」にちなんでいます。私は、春樹さんとは彼が作家になる前に多少縁がありました。1974年、彼が国分寺に開いたジャズバー「ピーターキャット」が、その縁があった場所です(ちなみに私の実家は国分寺で、今でも日本出張の際には実家に泊まっています)。私は大学時代、かなりジャズに狂っていて、いろんなジャズ喫茶(当時三寺と言われた「国分寺、吉祥寺、高円寺」、それに新宿)に入り浸っていました。村上さんがピーターキャットを開いた頃、私は18歳で、当時奥さんの陽子さんと2人でお店をやっていて、ローソクの蝋の塊を集めたデコレーションがある、地下の暗くておしゃれなジャズバーでした。
当時18歳の私は、1学年上のベースを弾く男の子に、密かにあこがれており、その彼が「ピーターキャット」に、私を連れて行ってくれました。彼は当時ガールフレンドがいて、私とは単なるジャズが好きな友人として、親しくしてくれただけですが、自分の想いを告白できない私(今と違ってかなり純情だったようです)は、彼が先に帰った後に密かにマスターだった春樹さんにその悩みを相談しました。春樹さんは、通常お料理をつくっていて、ほとんどお客さんとは話さない方でしたが、なぜかその時だけは、私の悩みに対して、「自分の気持ちに正直にふるまったら」と一言、答えてくれたのを記憶しています。彼は1949年生まれで、私より7歳上で、計算するとまだ25歳の若さでお店を開き、ティーンネージャーの私の子供ぽい悩みを聞いてくれたことになります。
彼は1977年に千駄ヶ谷にピーターキャットを移して1981年までお店をやって、1979年「風の歌を聴け」で群像新人賞をとり、作家としてデビューしています。33年前、私は国分寺のピーターキャットのマスターが、作家になるとは思いもよりませんでした…
こんな奇妙な縁もあり、さらに1995年に米国に移住して以来、私は毎日が冒険という気分だったので、最初の書籍のタイトルを「ひさみをめぐる冒険」にしました。
国分寺のピーターキャットのことは、「村上春樹の世界 国分寺を歩く」に、写真や詳細な記述があるので、ご興味があるかたは、ぜひご覧ください。ピーターキャットがあった当時の国分寺は、アングラ系のEdgyでユニークなお店が、南口に固まっていて、「ほんやら洞」や「寺珈屋」でよく珈琲を飲んで時間をつぶして、「グルマン」のカレーはおいしかったという、思い出があります。今は、すっかり変わってしまって、面影がなくなってしまいましたが、「ピーターキャットの暗さ」は、今も私の頭の中にイメージとして、残っています。
PS: 村上春樹さんの作品は、私は20代(1980年代)の時に夢中になって、読みました。上記の「羊をめぐる冒険」や「風の歌を聴け」は当然のことながら、「1973年のピンボール」、「ダンス・ダンス・ダンス」と、一連の作品の登場する「僕」、「鼠」、J's Barのバーテンダーの「ジェイ」とか、目くるめく人物が、白昼夢のように、私のアタマの中を駆け巡ったことを思い出します。さらにあの緑のバックに赤の縦書きのタイトルというソフィスティケートな装丁の「ノルウェイの森」。書き出すときりがないし、彼の作品のことはいろいろな著名な方たちが書いているので、この辺でやめておきます。
今は、世界的な作家になってしまった春樹さんですが、国分寺のピーターキャットに思い出を持つ私は、手の届かなくなった世界にいるような気がして、なんとなく寂しい気持ちがします。でも、どんどん素晴らしい文筆活動をしているので、もちろん、サンフランシスコベイエリアの島Alamedaに住む私は、陰ながら彼を応援しています。