自分が話しているヴィデオを見るのは、はっきり言って「拷問」だと思う。特に私のように、何も事前に用意せず、オーディエンスの前に出た瞬間に、考えるより先に言葉が出てしまうタイプは。台本なしで、ただ自分で作成したPPTを見ながら、講談師のようにしゃべる私は、「旅芸人」なんだとつくづく思う。普段私の文章しか見たことのない人のための、サンプルとして「旅芸人ひさみ」のトークをあげました。お耳障りでお見苦しい場面があると思いますが、お時間があれば、JaM Japan MarketingのYouTubeチャネルをご覧ください。動画は4月に実施した「JaM Session Chabudai-Talk」のサワリのみです。
大昔、猪瀬直樹さんの書いたものが好きだった。今日、なんかの拍子に彼のコラムから私が気に入った言葉が出てきた。 「日本人は英語ができないから国際交渉に弱いのではない。日本語ができないからだ。母国語で論理的思考ができない人間が、外国語でコミュニケーション力を発揮できるわけがない~」 これってまさに私が日々実感している言葉。人との意見の相違に直面することを避けて、論理的思考やディベイトを嫌がる日本社会に慣れた人では、グローバルでビジネス交渉はできない。 Tesla MotorsやSpaceXをスタートさせたInventor & EntrepreneurのElon Muskが、小学校の頃、病院に担ぎ込まれるほどの怪我をさせられる、いじめにあっていたらしい。彼は拷問を受けに行くような学校およびそのカリキュラムが嫌いで、さらに家では父親との緊張関係もあり、結果として、故郷の南アフリカからアメリカに移住する決心へと、つながっていった。そんな手酷いいじめを受けたElonは、自分の5人の息子が通っていた学校が気に入らず、小さな規模の実験的な小学校をスタートさせた。彼は北京TVのインタビューで以下のように語っている。
Los AngelesにあるElonが始めた私立の小学校「Ad Astra("To the stars")」は、現在14名の生徒が通っているが9月には20名になる予定、子供たちの親はSpaceX の社員ということ。彼のグランドビジョンは、「1年生から3年生の学齢の子供たちから、『学年』という概念をなくして、すべての子供が一緒に学ぶ、まるで自動車工場のアッセンブリーラインのようにしたい。理由は、音楽が好きな子供がいれば、数学、あるいは英語と、子供たちは異なる関心を同じ時期に持ち、それをもっと活かせる仕組みを作ることが大切だ」と語っている。 彼が教育の抜本的なこととしてポイントアウトしているには、「どうやったら問題を解決できるか?」という点で、「ツール」に関して教えるのではなく、「問題」あるいは「問題の解決」そのものを教えるべきだと主張している。 彼が例としてあげたのは以下のような例えである。 「エンジンがどのように機能するか?」ということを教えるために、「スクリュードライバーの使い方」を教えても意味がない、必要なことは「エンジン」そのものを子供に与えて、それを解体するようにを指示する、それによって、子供たちは「スクリュードライバー」の必要性と使い方を学ぶ。 子供たちは小学校に行くことを楽しみにしており、教育の成果は彼のビジョンに近いらしい。私はこの事例の持つ重要な意味を実感する。仕事上でも然りであるが、「Fundamentalな事象への認識」の欠落が、まず足を踏み出す方向を間違えさせる。間違った方向に行けば、どんなに優れたツールを持ったところで、フィックスすることはできない。必要不可欠なツールの使い方は、後から自然と身につく。小学校時代は、その柔らかなアタマと心を伸ばす素地をつくる重要な時期である。その時に、実りをもたらすような教育カリキュラムがあれば、子供の伸びはUnlimitedに広がっていく。 もちろん、Elonだからできることと言えるかもしれないが、こういう「発想」に、私は常に敬意を払い、また大いにInspireされる。自分が子供の頃に、「エンジンの解体」プログラムがあったら、私はもしかしたらエンジニアになっていたかもしれない。当時の私にとって「蛙の解剖」ぐらいぐらいしか「解体」モドキのことはなく、また当時は、「女子は家庭科、男子は技術科」と、クラスはジェンダーで分かれていて、「女子(私はこの言葉は、少女を指す時以外は使わない)」が、技術的なことを学ぶ機会は非常に少なかった。 まあ、昔話はさておき、教育という国家の根幹にかかわる重要な問題を、既成概念や社会通念にとらわれずに考えるということは大切だと思う。「英語」というツールを幼少期に学ばせれば、グローバルな考えが身につくあるいはグローバル社会で勝ち抜ける、みたいな安っぽい考えはやめたほうがいい。もちろんNativeのEnglish Speakerが英語を教えるのはよいと思うが、それ以前に「日本の文化や伝統」というIdentityを語る、あるいは議論できる「教養」は必要で、その上で、「ツール」習得という「技」に行くのが王道だと思う。中途半端が最も愚かしく、「コンテンツなき技術者」は、その後、成長したあとで、しんどい思いをすると思う。 Elonの発言や動きは人をわくわくさせる。こういう人は滅多にいない。私も小学校時代にElonではないが、「女友達からいじめ」にあい、私の女の子の親友はいじめのために転校した。私はその間、「男子」と一緒に野球やサッカー、木登りなどをしていて、全然女の子のいじめを本気で受け止めていなかった。あの時、もっといじめで真剣に悩んでいたら、今頃もっと違う発想が生まれたかもしれない。てなことを考えさせるElonだった。 カルチャーとはいえ、この米国のCEOと一般社員の平均給与の格差を見ると、今さながらに驚く。 1980年当時42倍の格差は、2000年のドットコムバブルで525倍と急増し、その後の減少傾向は経済の回復によってまたしても上昇し始めている。2014年の一般社員の平均給与は36,134ドル、CEOは平均1350万ドル、その格差は373倍。 このリアリティは重い。 この極端な米国の経営者と社員の給与格差の状況下で、今年4月シアトルのGravity Payments(クレジットカードの支払いプロセスサービス)のCEOのDan Priceは、今後3年間で120人の社員の誰もがミニマム給与の7万ドル以上が確保できるように、自身のサラリー100万ドルを93%削減して7万ドルにし、2015年の220万ドルの利益の75-80%を、これに充当すると 発表した。彼は大学在学中19歳でGravityを創設し、2年目を迎えた社員には日数制限なしの有給休暇をとらせるなど、常にProgressiveなアプローチでビジネスを推進し「2014 Entrepreneur of the Year」に選ばれている。彼の決断は、クライアント企業からも大いに評価されて、Gravityのビジネスに好影響を与えており、もちろん社員のモチベーションは向上し、企業全体に勢いを与えている。 JaMのビジネスおよび個人的にも大いに関心を寄せている「Generation Y & Z*」が社会の中核に足を踏み出しつつある中で、このGravityの29歳のCEOの考え方は、GreedyなWall Streetに引きづられがちな米国ビジネスに一石を投じる「Alternativeなビジネス経営」ともいえる。上の世代とは異なる価値観を持つ若年層は、こうしたストーリーに惹かれ、またInspireされて、現状を打破する異なった手法を考え出してくるように思う。既成の概念や枠に捉われないAlternativeな考えが最近目に付く、金魚鉢から飛び出す金魚が増えそうな気がする!! *米国の世代ごとの人口区分:
昨日、もう15年以上の長い付き合いの地元シリコンバレーの友人の吉川欣也さんの3度目の起業となる「Miselu」の第1号製品「C.24 (iPadのためにデザインされたワイヤレスMIDIキーボード)」が届いた。吉川さんのこの3度目の会社Miseluの製品は、2013年8月7日にKickstarterのキャンペーンによって、1253人のBackersによって$136,450の資金調達が達成したところから始まった。 "1,253 backers pledged $136,450 to help bring this project to life." シリコンバレーでは数少ない日本人の起業家の1人である彼がC.24を作るという話を耳にして、私はすぐにbackerとなって応援した。全く楽器演奏の素人である私は、以前から自分の楽しみのために楽器演奏を手軽にしてみたいと思っていたので、届いたC.24のアプリをダウンロードして、まずはJoyTunesのPiano Maestroからスタートした。当初製品への理解不足のため、ちょっと悩んでいたが、結果Messengerを経由して、CEOの吉川さんがカスタマーサービスとなって指導してくれたので、無事に使えるようになった。鍵盤の音のみで何か弾いてみたいと思っていて、指を動かしていたら、突然小学校で習った「ドレミの歌」の音符(ドミミミ、ミソソ、レファファ、ラシシ~)が記憶に蘇り、歌を歌いながら弾き始めると、ちゃんと曲ぽくなったのには驚いた。このC.24の詳細はここにあるので、チェックしてほしい。吉川さんは、この製品を軸に新たな音楽のコミュニティが構築できていくと面白いと言っており、何だかちょっとワクワクしてきた。 彼と久しぶりに話をして、1999年彼がまだ日本のデジタルラボ(DML)の社長(彼が最初に設立した会社)であった頃、「ひさみさん、今すぐシリコンバレーで起業したいし、生活もしたい」と相談されたのを思い出した。彼はすでにシリコンバレーで起業する準備は出来ていたが、ビザの発行にまだ時間がかっており、居住者として、すぐに入りたいがそれが出来ないという状況だった。私は東京から夫に電話して、すぐにうちのアパートメントの空き具合を調べて、Co-founderの石黒邦宏さんの分も含めて2部屋分を私たちの名前で借りてほしいと頼んだ。うまい具合に空きがあり、吉川さんと石黒さんは、3ヶ月間しか滞在できない旅行者ビザのまま、すぐにうちのアパートメントに引っ越してきた。居住者でない彼らのために、当初、3世帯分の部屋代、電気水道代の立替、毛布やら食器やら日常すぐに必要なものは全部我が家のものを提供して、若き起業家たちの生活の面倒を見始めた。彼らは1999年9月にIP Infusion Inc. (次世代ネットワークソフトウエア開発)を設立、その後吉川さんは2005年に同社をAccessに売却し、2008年4月にMiselu Inc.を起業している。 彼の発言で印象的だったのは「シリコンバレーは、ワールドクラスのアスリートが集まるメジャーリーグのようなところ。ここに来た以上、評論家や解説者のようにゲームを見て発言しているだけではだめだ。実際に世界の強豪に伍してプレイしない限り、その意味はわからない。僕はここに来た以上メジャーリーガーになる」という発言だった。多分、彼もそうだと思うけど、1995年に野茂がメジャーデビューしたことの影響は非常に大きいと思う。野茂の活躍を実際に目することがなかったならば、今の日本人選手のメジャーでの活躍はなかったと思う。1995年にシリコンバレーに移住した私は、ともすれば挫けるような毎日の暮らしの中で、どれだけ野茂の活躍に勇気付けられたかと思うと(ファンレターも出した)、今でも涙が出てくる。吉川さんの起業家魂と、野茂のプロフェッショナリズムは重なることが多い。 何年かぶりに話したけれども、吉川さんの気負いのない「柔らかく、軽い話し声」を聞いて、なぜか安心した。シリコンバレーでテクノロジー関連で起業家として成功している日本人は非常に少ない。20年間ここに住んでいるが、吉川さんや石黒さんのようなケースはほとんど見たことがない。ここで起業するには、とんでもないエネルギーと才能と努力が必要であるし、それを持ったとしても、必ずしもメジャーで活躍できる可能性は少なく、Triple Aあたりで終わることも多々ある。それでも、やりたいと思う「情熱が起業のガソリン」となる。 そんなこんなで、週末はC.24を弾きながら、久しぶりに起業家のことを考えている。何だか楽しくて、可笑しい!! 以下は米国の「Unicorn(ユニコーン)」と呼ばれる企業価値が$1 billion(10億ドル以上)以上の非上場のプライベート企業のトップ10リスト(Source: CB Insights)。 私が驚いたのは、このユニコーン10社のうち6社の製品やサービスを、私たちがすでに日常生活で当たり前のように頻繁に利用しているという事実。このユニコーンに関して、私のSFべイエリアの友人Ken Miura (CEO of DouZen) が詳細を書いているので、参考にして欲しい。ポイントは「伝説のユニコーン(一角獣)」という意味で使われた、非常に稀な存在であった「ユニコーン」企業が最近はどんどん増えて「群れ」のような状態となっているという点である。CB Insightsによれば、「ユニコーン」企業は、全世界に103社あり、そのうちの65社が米国内に存在し、自分でも感じているように、10億ドル以上の非上場の私企業は、「珍獣」的なポジショニングを失いつつある。
SF Chronicleがこのユニコーンという非上場の私企業の価値評価基準について説明しているけど、「ユニコーン」っていう名称のように、上場企業と異なり、この企業の成長を信じたいという投資家の「Fantasy」に近い部分もかなりあり、これらの価値金額を鵜呑みにできないのは、誰でも理解できる部分だと思う。 ユーザレベルで話すと、上述のユニコーン企業のうち、Uber、Dropbox、Squareの3社のサービスは公私ともども必要不可欠なサービスなので、このまま成長を続けて安定した企業となって欲しいと切に願う。以前は自分で車を運転してミーティングや会食に出かけたけど、年々悪化するベイエリアのトラフィックを考えると、Uberに乗って車内で仕事をするというのが習慣化してきている。またファイルの容量の増大や共同作業の多さを考えるとDropboxなしでは、もう仕事ができないし、ユニークなサービスを提供してくれる小規模なマーチャントはSquareなしでビジネスができない。こうやって考えていくと、ユニコーン企業の1つの特徴は、「Game Changer」としての役割で、ユーザレベルにくすぶっていた既存企業や業界・市場への不満を見つけ出し、それを解決するサービスをもたらした企業が「ユニコーン化」しているように思う。 私はマーケターとしての興味から、Uberに乗ると必ず「Uberのビジネス状況、ドライバーの家族、Uberingするメリット&デメリット、Uber利用の客の質etc.」を質問するが、ドライバーが口をそろえていうのは「自分で時間管理ができる自由さ」という点である。おととい乗ったUberのドライバーは著名人のボディガードをやっていて、彼らからアポが入るのは稀なので、普段はUberでお金を稼ぎ、3人の子供たちの面倒を見る時間もつくっているという。ユーザサイドでは支払いのトランザクションもなく、アプリで呼び出せば大体5分以内でくるし、タクシーよりは格安な料金というメリットは非常に大きい。Uberに限らず、利用しながらの取材調査ほど、オンラインだけでは得られない物事の本質を実感できる、「Aha Moment」が起きる。 既存の市場のしがらみを壊すことによって、自社のユニークなビジネスモデルを市場に浸透させていく、「ユニコーン企業」たちが増加するのは悪いことではないと思う。むしろ、市場性を確定しない前に、投資家の思惑によって、無理やり上場して、ビジネスモデルごとつぶれていった企業は多々あり、上場の意味は十分かみ締めるべきだとだと思う。ただ巨大化し続ける私企業に対する、ユーザとしての不安は、ビジネスでもプライベートでも生活の必須要件となった製品やサービスが、突然消失してしまう、あるいはセキュリティ問題が発生するといった点にある。 個人的には、しっかり企業や業界をWatchし続けて、後で自分が泣きべそをかかないように、事前の策を考えつつ、Proactiveに新しい製品やサービスを利用する、こんなことしかないのかなと思う。 昨日はPRについて改めて考える興味深い日となった。最初のミーティングは、地元SFのテクノロジーに特化したIndependentのPR AgencyのVantage PRとのもので、CEOとはもう15年以上の付き合いがあり、社員やオフィスも増えてどんどん大きくなっている。彼女の会社にはとにかく優秀な女性たちが多く、JaMとのChemistryはばっちりで、一緒に仕事をしていて、とにかく気持ちがいい。 彼らと一緒に実施したPRプロジェクトで、印象的だったのは「Thought Leadership」というアプローチによるPR活動で、日本ではほとんど耳にしないアプローチだが、米国では、マーケティング、コミュニケーション、PRなどの業務をたずさっていれば、必ず耳にする言葉で一般的に使われている。 「Thought Leadership」とは、単なる自社商品やサービスに関する情報ではなく、発信者が属する特定の分野において、将来を見据えたテーマや課題の解決策などを提案して、議論を巻き起こすというコミュニケーション活動をいう。発信者は、そうしたConstructiveなコンテンツを発信することによって、そうした情報に関心を持つメディアおよびそのオーディエンスとエンゲージが図れて、その分野においてReputationを獲得することが可能となる。その1つの例としてContributed Articleといった寄稿記事の形態がある。Vantage PRとのプロジェクトでも、彼らが日ごろから密にコミュニケートして関係論を築いているパブリケーションに働きかけ、彼らのオーディエンスにとって有益な情報となりえる、意味のある記事を寄稿することによって、発信者(この場合はJaMのクライアント)の価値を高めるという活動を行った。各々のパブリケーションは、冷静にその寄稿記事の質を判断して、掲載してくれた。もちろん、記事の質も大きく影響するが、Vantage PRの持つメディアとの良好な関係論が大きく影響しているのはいうまでもない。 新製品情報をリリースで流すあるいは何かイベントを実施するといった単発的&散発的なPR活動では、鮮度が落ちれば、メディアおよびそのオーディエンスからの関心度も低下する。PRすなわち「Public Relations」という名称が示すように、本来はパブリック(メディアも含む一般消費者全体)と関係論を構築する継続的な企業のコミュニケーション活動そのものがPR活動である。日本では、なぜか「PRする」という言葉が「広告宣伝する」という風に捉えられており、米国は「Advertising」や「Promotion」と「PR」は大きく異なり、それが日米のPR Agencyの動き方に相違点を生み出しているように思う。 確かに「Thought Leadership」というアプローチは時間と手間がかかり、すぐに目に見える効果が出にくいが、「深度のある質の高いエンゲージメント」へつながる可能性は大で、コミュニティの中で影響力のある人へのリーチアウトが可能となる。また鮮度に左右されないコンテンツは、何年たっても納得させるだけのStrengthを持ち、発信者の信頼性は揺るがない。ポイントは、ターゲティング・オーディエンスが、その発信するコンテンツを「Social Currency」としての意味を認めて、コミュニティにシェアしたいと思うかどうかである。 昨日はこのVantage PRのミーティングの後に、JaMの日本でのPRネットワークの1人であるテクノロジー関連のPRのベテランに、日本のPRの実情を聞いたが、思わず「Jaw-dropping」状態となり、唖然としてしまった。メディアそのものがPRエージェンシーやクライアントに、最初から「枠」扱いで値段をつけて、自社のイベントやコンテンツを「広告媒体」のように販売し、減少する広告費(従来型の広告)の埋め合わせをしているという。もちろん、私もそんなにナイーブではないが、その詳細なやり方を聞くと、そこまでするのかと思うほどだった。 コミュニケーションビジネスの環境は激変している。「悪魔に魂を売り渡す」ではないけれども、一度深い底まで落ちてしまうと、這い上がるのには、物凄い体力がいる。綺麗ごとだけでは生きられないが、「正攻法」の底力は必ず結果を生むと思う。 夢の中で、Google GlassをかけているGeekぽい男性が、Apple Watchを眺めている姿を見て、いきなり目が覚めた。現実にこの2つのWearableデバイスを同時に身に着けている人を目撃したら、実に情けない気分に陥ると思う(Google Glassの 失敗はあまりにも様々な無理が重なった結果だと思う)。 NPDグループは、2020年(あと5年)までに、グローバルウェアラブルテクノロジー市場のレベニューと出荷台数は25―35%増を予測しており、これからますます、この手のデバイスがいろいろなところで目に付き始めるはず。今週はSFでWearable World Congressも開催されているし、まさに猫も杓子もWearable話をしている感がある。 どの方向にWearable が行くかは色々な論議を呼ぶところとなっているけれども、ファッション業界にとって、最新テクノロジーは新たな付加価値をつける大切な要素で、デザイナーたちはテクノロジーをどんどん取り込んでいる。ハイテックジュエリーや素材そのものに機能を埋め込んだ衣服など、ステルスモードで、静かにファッションの中に溶け込んで行っている。 お洒落な人たちにとって、一番格好悪く思えることは、「誰が見てもその機能を身に着けていることが見え見え状態」になることだと思う。「さりげなさ」が表現できないとWearableは格好悪くなる。Invisibleで、あれって思わせる、その辺が本当にお洒落な人たちから支持される要素となりそう。
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大柴ひさみ日米両国でビジネス・マーケティング活動を、マーケターとして、消費者として実践してきた大柴ひさみが語る「リアルな米国ビジネス&マーケティングのInsight」 Categories
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