
彼らと一緒に実施したPRプロジェクトで、印象的だったのは「Thought Leadership」というアプローチによるPR活動で、日本ではほとんど耳にしないアプローチだが、米国では、マーケティング、コミュニケーション、PRなどの業務をたずさっていれば、必ず耳にする言葉で一般的に使われている。
「Thought Leadership」とは、単なる自社商品やサービスに関する情報ではなく、発信者が属する特定の分野において、将来を見据えたテーマや課題の解決策などを提案して、議論を巻き起こすというコミュニケーション活動をいう。発信者は、そうしたConstructiveなコンテンツを発信することによって、そうした情報に関心を持つメディアおよびそのオーディエンスとエンゲージが図れて、その分野においてReputationを獲得することが可能となる。その1つの例としてContributed Articleといった寄稿記事の形態がある。Vantage PRとのプロジェクトでも、彼らが日ごろから密にコミュニケートして関係論を築いているパブリケーションに働きかけ、彼らのオーディエンスにとって有益な情報となりえる、意味のある記事を寄稿することによって、発信者(この場合はJaMのクライアント)の価値を高めるという活動を行った。各々のパブリケーションは、冷静にその寄稿記事の質を判断して、掲載してくれた。もちろん、記事の質も大きく影響するが、Vantage PRの持つメディアとの良好な関係論が大きく影響しているのはいうまでもない。
新製品情報をリリースで流すあるいは何かイベントを実施するといった単発的&散発的なPR活動では、鮮度が落ちれば、メディアおよびそのオーディエンスからの関心度も低下する。PRすなわち「Public Relations」という名称が示すように、本来はパブリック(メディアも含む一般消費者全体)と関係論を構築する継続的な企業のコミュニケーション活動そのものがPR活動である。日本では、なぜか「PRする」という言葉が「広告宣伝する」という風に捉えられており、米国は「Advertising」や「Promotion」と「PR」は大きく異なり、それが日米のPR Agencyの動き方に相違点を生み出しているように思う。
確かに「Thought Leadership」というアプローチは時間と手間がかかり、すぐに目に見える効果が出にくいが、「深度のある質の高いエンゲージメント」へつながる可能性は大で、コミュニティの中で影響力のある人へのリーチアウトが可能となる。また鮮度に左右されないコンテンツは、何年たっても納得させるだけのStrengthを持ち、発信者の信頼性は揺るがない。ポイントは、ターゲティング・オーディエンスが、その発信するコンテンツを「Social Currency」としての意味を認めて、コミュニティにシェアしたいと思うかどうかである。
昨日はこのVantage PRのミーティングの後に、JaMの日本でのPRネットワークの1人であるテクノロジー関連のPRのベテランに、日本のPRの実情を聞いたが、思わず「Jaw-dropping」状態となり、唖然としてしまった。メディアそのものがPRエージェンシーやクライアントに、最初から「枠」扱いで値段をつけて、自社のイベントやコンテンツを「広告媒体」のように販売し、減少する広告費(従来型の広告)の埋め合わせをしているという。もちろん、私もそんなにナイーブではないが、その詳細なやり方を聞くと、そこまでするのかと思うほどだった。
コミュニケーションビジネスの環境は激変している。「悪魔に魂を売り渡す」ではないけれども、一度深い底まで落ちてしまうと、這い上がるのには、物凄い体力がいる。綺麗ごとだけでは生きられないが、「正攻法」の底力は必ず結果を生むと思う。