連休中は、夫と2人で、ちょっとベイをセーリングしましたが、久しぶりに冷たい海風に当たりながらヘルムをとって気分爽快、週末は、自転車で、我が家のあるAlamedaの島中を3時間ぐらい走りまわって、大いに脛を鍛えました。
さらに、今年の我が家のテーマでもある、「Green(グリーンに=エコフレンドリー)」の実践で、トマト、キュウリ、ガーリック、ストロベリーという野菜や果物、さらにカリフォルニア・ポピーやカリフォルニア・ラベンダーという土地のネイティブな花々を、自前の堆肥を使って、裏庭に植えました。無駄なガソリンを使わず、地球に何か良いことができて、さらに収穫時には新鮮でおいしいオーガニックなものが食べられる。もっと良いことは、ガーデニング自体が楽しく、汗水流して身体を使うのでエクササイズにもなる、エコ・ガーデニングは、一挙四得です。
手袋ははめていますが、いろいろなことをやっているうちに、手袋なしで作業してしまうこともあり、爪には泥が入り込むし、巨大なミミズとの対面も多く、夫が彼らは土を耕してくれる良い虫だと教わると、遭遇にも喜びがわいてきます。自家製の堆肥も、卵の殻、野菜や果物の皮、落ち葉などでつくっているので、最近は家から無駄なごみが大分なくなっています。ボトルの水やスパークリングウォーターももう買わないし、とにかく、少しでも地球にとって害のないことをしていきたいと思います。
日本に住んでいた頃は、バブル時代に広告代理店に勤務していて、若さもあいまって、毎晩のように夜中の2時頃、青山や霞町に出没しており、「エコフレンドリー」なんて言葉は、その頃の私にはありませんでした。当時の私のお気に入りは、南青山3丁目の「バーラジオ」です。バーテンダーの尾崎さんは、「バーラジオのカクテルブック」を出したほどの名バーテンダーで、マスコミ関係者や著名人が多く集まっており、20代の私は「あのドア」を開ける時は、結構気合を入れながら、押したものです。
今ふっと、急に昔のことがアタマを横切りました。当時(1980年)ミリオンセラーとなった「なんとなくクリスタル」で一躍有名作家になった田中康夫氏が、よく1人でカウンターで飲んでいたことを思い出しました。彼は、私と同い年で(1956年生まれ)、バーラジオのカウンターの一番はじっこで、周囲の人たちに十分見られているのを意識しながら、それに気がつかないふりをして、カクテルを飲んでいる姿が印象的でした。
彼が政治家への道を歩むきっかけとなったのは、1995年の「神戸大震災」で、被災地におけるボランティア活動での経験によって、政治活動に関わっていったということです。私は同じ年に米国に移住しており、彼の政治活動は米国から間接的に見聞きしているだけで、コメントは特にはさめませんが、南青山3丁目時代を共有する私から見ると、彼はずいぶん環境に適応して、「進化している」と感じます。
私も1995年以来、米国という社会環境に適応するために、かなりの速度で「進化」しつつあり、週末泥だらけになっている最近の私にとって「エコフレンドリー」という言葉の重みは、増しています。社会的生物である「ヒトの進化」は、いろんなカタチであり、27年もたちましたが、南青山3丁目のお酒が無駄ではなかったような気がします。
なんとなく、今日は「バーラジオ」に乾杯したい気分です。