これは、26日93歳で亡くなったGerald R. Ford(フォード)大統領のお気に入りの言葉だったようです。彼は、米国の43人の大統領のうち、唯一選挙によって選ばれずに、大統領になった人で、「Accidental President(偶然大統領になった大統領)」と呼ばれる、非常にユニークな大統領です。
フォード大統領は、1974年、Nixon(ニクソン)大統領の副大統領Spiro Agnew(スピロ・アグニュー)が税金逃れで辞任した後、ニクソン大統領に指名されて副大統領になります。その直後、ウォーターゲイト事件で辞任するニクソン大統領の後を受けて、米国第38代の大統領に就任するという数奇な運命を担って、米国史に登場してきます。ウォーターゲイトの混乱、インフレによる米国経済の不安と悪化、ベトナム戦争からの最後の軍隊の撤退など、まさに米国の最悪な時期に、偶然にも大統領に就任して、その全ての後始末をしていきます。
彼は、ニクソン大統領に、「Unconditonal Pardon(無条件の恩赦)」を出したことで、当時の米国民の大不興を買って、1976年民主党のCarter(カーター)大統領候補に敗れて、29ヶ月の短命で、ホワイトハウスを去る結果となります。しかし、この偶然大統領になった大統領の最大の米国民への貢献は、この「Unconditonal Pardon(無条件の恩赦)」にあったと、今、改めて、米国民は彼を再評価しているようです。
私は彼のことを良く知りませんでしたが、ここ2日間、彼に関する記事やコメントを読んで、一番納得したのは、彼は「Accidental President(偶然大統領になった大統領)」ではなく、ウォーターゲイト事件の掃除をするために、大統領になるべくしてなった人で、そこには偶然ではなく必然ともいうべき、理由があった、そう実感しています。
彼のお気に入りの言葉「A Ford, not a Lincoln(自分はフォードだ、リンカーンではない)」が示唆するように、彼の人柄は、ネブラスカ州オマハという中西部出身者らしく、実質的で誠実で、当時の汚れ果てていたアメリカが必要とした「Decency(礼儀正しい)とHumility(謙遜)」を、ホワイトハウスに持ち込んだようです。
歴史上の人物評価は、「いつ、誰が、どこで、どのように見るか」によって、大きく異なりますが、フォード大統領への米国民の見方は、30年を経て、大きく「感謝」へと傾いたようです。ファーストレディのBetty Fordは、自らのアルコールやドラッグへの依存、さらに乳がんであることを公開して、こうした病気へのパブリックの認識を大いに呼び起こした最初の大統領夫人です。彼女は、その後医療財団のリハビリテーションクリニックBetty Ford Centerを開設しており、彼女のアクティビストとしての活動は活発です。
フォード大統領は、2001年、彼の「ニクソン大統領への恩赦」を、長年非難してきた民主党のTed Kennedy上院議員を含むJohn F. Kennedy Libraryによって、「Profiles in Courage Award」を、受賞します。ケネディファミリーは、フォード大統領の自からの政治的な命運を厭わない勇気ある決断を、称えています。その受賞に関しても、フォード大統領は、自分は妻のベティの病気公開の勇気にはかなわないと言っているそうです。
こう言い方ができる大統領の人柄も含めて、改めて米国の歴史を、今、見直しています。