また、明日4/18には、1906年のサンフランシスコ大地震から数えて100年目にあたり、地元のマスメディアでは特集を組んで、当時の地震時の被害やさまざまなストーリーを、TVや新聞などで紹介しています。
私は日本で育ったせいか、地震に対する恐怖があまりなく、生活の中で地震自体はつねに起きるもので、大地震がきたら、なるようにしかならないという、心境 で生活しています。こちらへきてすでに10年が過ぎましたが、過去何回かJaMのオフィスのある6階が、私にとっては軽い揺れを感じましたが、日本で経験 したような、物が落ちてきて机の下に隠れたり、外へ避難したりという大きな地震の経験がありません。
サンフランシスコの有名な大地震は以下の2つです。
1906年4月18日: M7.8に相当する(8.25 Richter Scale)直下型大地震で、地震以上にその後3日間にわたって燃え続けた大火災が、20世紀初頭の文化的にも経済的にも最も豊かな都市の一つであったサ ンフランシスコは、消失してしまいました。公式発表ではおよそ500人が死亡(これには移民、特に中国人が含まれていないので、推定3,000人とも言わ れています)、25万人が自宅を失い、2万8,000棟の建物が全半壊して、経済的な損失は、当時の金額で5億ドル、現在の価値に換算するとおよそ推定 90億ドル(約9,900億円)という莫大なもので、作家ジャック・ロンドンは、「サンフランシスコはなくなってしまった。思い出だけを残して。(San Francisco is gone. There is nothing left but memories)」と表現しています。
1989年10月17日:この大地震は7.1(Richter Scale)、62人の死者、3,757人の負傷者、1万2,000人が家を失い、総額30億ドル(3,300億円)の被害で、1906年の大地震以来始 めて、市内のエネルギーが完全にシャットダウンして、暗闇になったと報告されています。ちょうど、メジャーリーグのワールドシリーズ「SF Giants vs Oakland A's」という地元ベイエリアのブリッジシリーズの対決のさなかで、大地震がおきて、ゲームは中断され、ベイブリッジは陥没するなど、記憶に残る地震となっています。
こうした地震の話題を目にして、ふっと思い出したのが、亡くなった母方の祖母の話です。母は伊豆大島で生まれており、祖母は1923年の関東大震災を、伊豆大島で経験しています。私が子供の頃、祖母が語った関東大震災の記憶は、とても不気味なもので、祖母の住む野増村は伊豆半島に面しており、夜になる対岸の伊豆の国道を走る自動車のライトが見えるくらいの距離です。
「揺れが来る前に、前浜から急に海水がひいていって、今までに見たことがない海の底が見えてきた。伊豆半島まで渡っていけるぐらいに、急に水がなくなっ て、不気味な海底が現れた」と言っています。その後、急に大きな揺れが来て、また一気に海水が戻ってきたと、その恐怖の海の風景を、祖母は私に語ってくれ ました。
関東大震災は、伊豆大島の海底が震源だと言われており、M7.8で、小田原と三浦半島の2ヶ所に同時に双子型の地震が起こり、、以下の数字に見られるように、地震直後の大火災によって、莫大な被害を関東全域にもたらしています。
死者・行方不明者 : 10万5千余人
避難人数 : 190万人以上
住家全壊 : 10万9千余
住家半壊 : 10万2千余
住家焼失 : 21万2千余(全半壊後の焼失を含む)
私が、急に祖母の話を思い出した理由は、Easterのせいか、今週末は「十戒」というチャールトン・へストン主演のハリウッド映画の記事を目にして、神が海を真っ二つ割るシーンを思い出し、ふと地震とこの海を渡るモーゼの話の関連性に興味を持ったからです。
モーゼがイスラエルの民を連れて、エジプトから逃れる際に、神が海を真っ二つに切り裂いて、イスラエルの民が渡り終えると、追ってくるエジプトの軍隊は海 に飲み込まれる、これは、地震と津波の関係で、海が祖母の話のように急にひいていって、イスラエルの民が海底を渡れた、そんな気がしてなりません。
ノアの箱舟(確かに大洪水がこの時代に記録されている)や、Jesusが湖を歩いて渡った話(最近の科学者の発表によると、塩分濃度の高い湖面が凍って、 Jesusが渡ることができた)など、奇跡と言われるものには、必ず何らかの気象条件による後押しがあって、奇跡が起こると思います。
祖母の言葉から、「十戒」まで関連させるのは、私らしいかもしれません。世界はつながっています。過去も現在も未来も含めて...