昨日の夜は、ESPNでWBC (World Baseball Classic)の 決勝戦「日本対キューバ戦」を見ながら、横に座っている夫を尻目に、 久し振りに日本語と英語でTVに向かって、吼えまくっていました。8回にキューバに1点差まで追い込まれた時には、ここで踏ん張るんだと自分に言い聞かせ て、9回に追加点を入れて、キューバを突き放した時には、ちょっと放心状態に近い感じでした。また、王監督の胴上げというこちらにはない習慣を見て、最 初、これって何だっけとすぐにピンと来ないほど、ぼけていました。しかし、サンディエゴで試合が行われたのは、私にとってラッキーでした。こちらサンフラ ンシスコと同じPacific Coast Timeなので時差がなく、試合をプライムタイムのライブで見られたので、興奮の度合いが大きく違っていました。
アメリカは、March Madessと 言って「カレッジバスケットボール」のシーズンで、メディアもほとんどこのWBCにページを割いておらず、一般の人の関心が薄いのが本当に残念です。で も、世界の16カ国のチームが39ゲーム戦って、世界一のベースボールチームを決めるトーナメント大会で、初代チャンピオンになったのが、日本というの は、私にとっては非常に大きな意味を持ちます。米国主審の誤審判定によって、勝利から見放された日本が、米国の敗退によって、再び返り咲き、韓国、キュー バという強豪チームを打ち負かして、つかんだ「世界一の座」、これはドラマがあります。
日本を離れて10年もたっているので、日本の選手の名前や顔にはほとんどなじみがなく、唯一監督の王さんが、私が最もよく知っている人です。アナウンサーのジョン・ミラーは、放送中に盛んに「王さん」、「王さん」と、繰り返し王監督の偉大さを褒め称えていましたが、私もいきなり1975年発行の少年サンデー増刊号の「王貞治物語」という漫画のことがアタマによみがえりました。
私は、アメリカ人の夫に、王さんは台湾の人で、彼のお父さんの仕福さんが中華料理店「五十番」を経営していたこと、早稲田実業ではピッチャーで甲子園のマ ウンドに立ち、ジャイアンツ入団後バッターに転向して、荒川コーチと一緒に一本足打法(夫にはフラミンゴ打法と言っています)を編み出すために、合気道の 道場で日本刀を振りながら特訓して畳が擦り切れた話など、その当時の子供なら誰でも知っている話を夢中になって、説明しました。
日頃は、サンフランシスコジャイアンツのファンとして、地元のメジャーリーグチームにしか感心を示さない私の「がんばれ日本、がんばれ王さんモード」に、夫は圧倒されていました。
しかし、私にとって「昭和と野球は遠くなりにけり」という心境になっており、「王貞治物語」を思い出しただけで、なんとなく幸せな気分になりました。