高価格の住宅の都市のトップ5は以下です。ベイエリアの都市が3つで、Orange Countyのみが、南のLAエリアですが、すべてカリフォルニア州の都市です。
Orange County
San Jose
Santa Cruz
San Francisco
また、それと反対に最も住宅が購入しやすい都市は以下です。
Lima (Ohio)
Youngstown (Ohio)
Buffalo (NY)
Waterloo (Iowa)
ガソリン価格の全米とベイエリアの比較は以下です。
全米平均: $2.35
California 州:$2.66
San Francisco:$2.71
Oakland:$2.66
San Jose:$2.65
まったく、ガソリンはますます高くなり、住宅価格はバブルだと言われながら毎月高騰し、なぜこんなエリアにいるのかと自問自答しますが、ここを離れてしま うと、2度とここに戻れないという恐怖が引き留めるのかもしれません。他の州に移住すると、物価も安くなりますが、当然住宅価格も低く、いざベイエリアに 戻りたいと思った時に、他の州の住宅売却価格では、ベイエリアに家が買えないという現実があります。ですから、ここにとどまりたい人は、とどまれる限り、 ここにいなければならないということになります。
そんな中で、昨日も夫と今週末のHome Hountingのスケジュールの話をしていましたが、彼の口から、本当に心から彼に感謝したい言葉が出てきました。彼は「今度は小さなタウンで、 Redwood Shoresみたいな郊外住宅じゃないから、日本のママがこっちに来た時に、自転車で買い物やビーチに行けるから、彼女はきっと気に入るよ。3 bedroomsが買えたら、スペースがゆったりするから、ママが気兼ねしないで、好きなだけここにいればいいし、一生ここにいても大丈夫だよ」と、目を 輝かせて話していました。
母は、夫を非常に愛しており、いつも私には1人の娘と2人の息子がいると言っています(私は弟が1人います)。また、母は私が日本に行くと、必ず 「Davidの言うことを良く聞いて、彼のあとをついていきなさい」と言います。私にとって、世界中で最も大切な2人が、お互いのことを常に気遣う、そん な言葉に珍しく、涙腺がゆるんできました。
人の運命とは、本当に不思議なもので、8月15日の終戦記念日のことを考えていて、うちの父が終戦の年に20歳で徴兵されたことを、ふと思い出しました。 父は聴覚に多少不具合があったために、外地に送られず、習志野の陸軍駐屯地で、戦車の操縦士として配属されて、終戦を迎えました。父の兄2人はすでにフィ リピン沖で戦死しており、祖母は父を送り出す時に、耳元で「何があっても絶対に帰ってくると約束してちょうだい」と言って、送り出したそうです。父は、毎 日上官にアタマを蹴飛ばされながら(右折の際には、右側、左折の際には、左側にアタマを蹴られて、戦車は方向転換をしていたそうです)、戦車を運転し、命 が助かりました。耳が悪いというハンディキャップが、第2次世界大戦における、父の命を救い、その後の母との出会いが、私という人間を生み出す結果につな がっています。
「お父さん子」だった私は、17年までに父が亡くなった時に、Unconditinal Love(無条件で私を愛してくれるひと)を失ってしまったと感じ、ものすごい喪失感を味わいましたが、その6年後に夫とめぐり逢い、その喪失感は満たされました。
54歳でシングルとなった母は、良く自分の人生にとって最高のことは「お父さんと結婚して、あんたたち2人を生んで育てたこと」と言います。私も、ロール モデルは?と聞かれると、「両親」と答えます。あんなに一生懸命生きて、お互いに慈しみあい、仲良く暮らしていた夫婦は、ドラマでもみたことがありませ ん。
ロールモデルが「両親」で、メンターが「夫」というラッキーな私は、この過酷なベイエリアで生きていくエネルギーの源がたっぷりあるようです。