- Change vs. Experience(経験を盾にして、変革を求める米国民の声を読み間違えた)
- War Vote(イラク戦争開始への賛成投票。さらにそれが間違いであると認めなかったこと)
- Dysfunctional Campaign(戦略ミスと内部分裂で機能しなかったキャンペーン)
- Overconfidence(クリントンブランドへの過信)
- Bill Clinton(元大統領ビル・クリントンが巻き起こした舌禍)
- Sexism(女性差別のカードを引いた)
クリントン陣営は、2008年1月3日のアイオワ州で負けるまで(オバマ1位、エドワーズ2位、クリントン3位)、その圧倒的な知名度、資金力、クリントンマシーンと呼ばれる強力な支持者たちに支えられて、勝利以外を考えていませんでした。実際に2007年末までに、マスメディアも多くの有識者たちもクリントンの絶対有利を声高に宣伝しており、クリントンはしばしば「私が大統領になったら」という表現に、「If(もし)」ではなく「When(時)」を使い、自身の勝利を確信していました。
クリントン陣営は、先頭を突っ走る最有力候補者として、小さな州は無視して、大票田の州に焦点を絞った戦略で、2月4日(火)の「Super Tuesday(スーパーチューズディ)」で、一気に決着をつけるつもりでした。ところが思いもよらないことに、スーパーチュースデイで、クリントンは、Obama(オバマ)と五分五分の引き分けとなり、その後、オバマ陣営は「50州戦略」を基づいて11連勝という快進撃で小さな州を落として行ったために、クリントン陣営では混乱が始まりました。以下に簡単に要因をまとめます。
- 資金難(キャッシュフロー問題)と内紛の発覚:圧倒的優勢の予想のもとで、予備選を軽視して、政治献金の配分を11月の本選挙用にリザーブしたために、1月にキャッシュフローがきつくなり、クリントンは個人でローン500万ドルを借りることとなる。またこうしたキャンペーンの資金繰り問題およびアイオワとスーパーチュースデイで優位に立てなかった責任をとって、2/10、キャンペーンマネージャーだったPatti Solis Doyleは離職した(これが最初の大きな内紛劇。その後、彼女はオバマキャンペーンに参加)
- キャンペーンの戦略家Mark Pennの誤算と失敗:グローバルロビイ活動企業のBurson-Marsteller(PR企業と称しているが米国ではロビイストとして見られている)のCEOのMark Pennは、1996年のビル・クリントン元大統領のキャンペーン以来クリントン夫妻の絶対の信頼を得ていた戦略家で、今回のクリントン陣営のすべての戦略を指揮していた。彼は、バーソンのプロジェクトにおいて、コロンビア政府の代表としてロビイ活動を行ない、それがクリントンキャンペーンとの間でコンフリクトが起こし、4/3、戦略レベルからステップダウンした。
- オータナティブの戦略がなかった:Pennが設計したクリントン陣営のキャンペーン戦略は、すでにアイオワの予備選挙で崩れて、オバマ陣営の「50州戦略」を軽視して、スーパーチュースデイ以降のオバマの11連勝という快進撃を許した。彼には、これを食い止めるためのオータナティブの戦略がなく、また、彼はクリントンのイメージを「強さ」にポイントをおき、彼女の本来のパーソナリティを生かせかった。さらに、オバマの「Change We Can Believe In」のように、統一テーマをクリントン用に設定することが出来ずに、キャンペーンメッセージの混乱を招いた。
- Pennへの支払額480万ドル:この失敗した戦略家への支払いは、クリントン陣営では最も高額で、4月末までの負債において、Pennのコンサンルティング会社Penn, Schoen & Berland Associatesへの支払いは、およそ480万ドルにまでのぼっており、これがまた大きな批判を生んでいる。
ここでの本当のポイントは、こうしたキャンペーンの不具合を、早めに見極めて対処するという姿勢、あるいは発想が、当事者であるクリントン自身になかったことに大きな原因があると私は思います。彼女は、まるでステージに上がった女優のように、すべてをマネージャーやディレクター、プロデューサーなど周囲の人間に任せてしまい、政治キャンペーンの当事者として、それを管理統率する意識が欠落していたように見られます。Pennがステップダウンしてから、彼女も自分自身を取り戻したようで、必死に盛り返してきましたが、「時遅し」ということで、Momentum(勢い)に乗ったオバマキャンペーンに、最終的に追いつくことが出来ませんでした。