9/11から9/23まで日本出張で留守にしており、その出張の前は日本で行うセミナーのプレゼンテーションのための準備や、コラムやレポートの作成に追われて、毎日キーボードを叩き続けていたため、自分のブログには一切手が回らず、何とも情けないBlogless(ブログレス)の日々となりました。
- 23日に戻ってきて、宣伝会議の原稿を25日までに送るために、時差ボケしている暇もなく、必死にキーボードに向かい、任天堂のWiiに着目して「Social Gaming」のテーマで、やっと原稿を送付しました。
- 今は、日経ビジネスのオンラインコラム「米国ネットのざわめき」にタックルしています。
- その間、可能性のある新規プロジェクトの見積もり作成、進行中のプロジェクトのフォローアップ、請求書の支払い、それ以外の事務処理をこなしました。
- 家の掃除、ジャングル状態の庭の野菜たちの手入れ、ドライクリーニングの洋服の出し入れ、食料やトイレットペーパーなどの日常品の買出しを行いました。私はトイレットペーパーの余分がないと、気分的に惨めな状態になります。これは1973年のオイルショック時のトイレットペーパー騒動(買占め)の経験が、トラウマとして深く根付いているからです。「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラが、南部が戦争に負けた後、食べ物がないタラの農場で、私も家族も絶対に飢えさせない、そのためなら何でもすると、拳をあげて神に誓う場面がありますが、トイレットペーパーに関しては、私もスカーレットの誓いに近い感情です。どんなに貧しくても余分なトイレットペーパーは買うぞ!という強迫観念があります。
- この間、うちの夫とは、彼の転職とキャリアに関する重要な問題を話し合い(彼は妻が戻って相談するまで結論は出さないとしていました)、彼と今の会社、および転職しようと考えていた会社と、どのような経緯になったかを話し合いました。珍しく、夫は帰宅したばかり睡眠ゼロ状態の私に、2時間ぐらい一方的にその話を、ダウンロードしていました。結論は、今の会社に残るという選択で、彼は私のコメントが、決心するトリガーになったと言っています。
- それが終わると、夫は、私も日本出張がなければ一緒に行くはずだった、彼の父親や姉妹たち(4人)と過ごした5日間のクルージングの旅の報告です。彼の父親がFamily Reunionのために、5人の子供たちとその連れ合いを招待して、LAに集合して、サンディエゴや国境沿いのメキシコの街をクルージングするバケーションです。夫は大勢の乗客を乗せるクルーズ自体は好みませんが、久しぶりの家族との交流は楽しんだようです。自転車でメキシコの家族が経営する小さなワイナリーを訪問したことがとても印象的だったようで、20年前のNapaみたいだと喜んでいました。
日本から戻ってきて、たったの3日間で、上記のことをすべてこなして、さすがに私も「早く人間になりたい」という妖怪人間べムの言葉が呪文のようにアタマをかすめ、疲労憊状態となり、見かねた夫がセーリングに誘ってくれました。
昨日は、夫の所属するセーリングクラブ「Club Nautique」の「Hump Day Cruise(水曜日の夜のセーリング)」の日だったので、思わず43フィートのJeanneauに飛び乗って、サンフランシスコベイに向かって、走り出しました。
クラブは自宅から車で10分、Hump Day Cruiseは、18時から20時の2時間の気軽なセーリングで、料金は25ドル、メンバーは1人のゲストの同伴が可能です(2人で50ドルという非常にお安い価格です)。セーリングが終わると、ハンバーガーやホットドック、ワインやビールといった飲み物までついたグリルが用意されており、夕飯の支度をしないですむ、我が家にとっては大変便利なセーリングプログラムです。
昨日は、珍しくベイエリアにしては、非常に暖かい晩で、SF GiantsのBarry Bondsのジャイアンツ最後のゲームだったので、私たちはAlamedaからジャイアンツのボールパークのあるChina Basinまで、一直線に向かい、ちょうど試合開始の7時15分には、かなり近くまで近づきました。多くのファンの写真撮影のフラッシュライトが、眩しい輝きとなってベイの夜に映えて、ベリーの最後のゲームを海上から見ることが出来ました。これも何かの縁だと思いますし、またしても間接的ですが、「I was there」という気分です。
ベリーのフィナーレを見送った私たちは、巨大な満月のもとで、ゆっくりとしたMoon Light Sailingを楽しみながら、Alamedaに戻りました。
巨大な月や暖かな空気と風は、太平洋半分横断セーリングやSea of Cortezの無人島でのセーリングを思い出させ、ベースボールやサンフランシスコの夜景を見て、潮風を顔いっぱいに受けて、私はやっと妖怪人間から「ひと」に戻りました。
日本の湿度と汗に弱い私は、やはり家が一番いい、これが本音です。