ドクターからの指示で、赤く点灯するランプを見つめ続けるのが、手術の成功の鍵だと言われ、私はその言葉を守ろうと、必死に瞬きしないように努力していま した。すでに私の眼には、瞳を開かせるためのリングがはめられ、眼にはさまざまな目薬が入れられ、時にはかなり染みるので、思わず眼をつむろうとするの を、必死こらえてがんばりました。
赤く点灯するランプはいろいろと変化し、そのイメージは、宇宙空間のビックバンを連想させ、私は、スタンリー・キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」を思い描きながら、眼を見開いていました。レーザーで眼を切開している音や独特の臭いも、完全に知覚できるので、実際に自分の眼の上で行われていることを、想像するのは極力避けて、「2001年宇宙の旅」の映像だけをイメージするよう心がけていました。
手術中も、ドクターはしょっちゅう「Great!」、「Perfect!」、「Good Job!」というポジティブな言葉を連発して、私を大いに励ましてくれたので、うまくいっているという自信に裏付けられて、たいした不安もなく、無事に手 術を終えることができました。米国のドクターと患者関係は、「コーチとアスリート」という感じで、ドクターのポジティブな励ましやAttitude(態 度)は、私たち患者にとって、非常に安心感を抱かせるものだと実感しています。
手術後は、夫の車で自宅に戻り、3時間ぐらいの睡眠をとりました。この間、眼をこすらないことが非常に重要なので、ドクターから与えられた睡眠用のゴーグルをつけて、眠りました。
眠りから覚めて、何気なくベッドの横の目覚まし時計を見て、驚いたのは、時間がはっきり見えたことです。思わずbathroomに行って、鏡を見て、また びっくり、自分の顔がぼやけずに見えていました。翌日の検診で、何の炎症もなく、今の時点ですでに20/30あるから、自分で運転しても構わず、仕事も OKということで、午後から通常通り働き始めました。1ヶ月後には、20/20まで良くなるはずなので、来週ドクターから運転免許書の変更指示書(もう眼 鏡使用ではなくなりました)をもらって、免許書を変更します。
36年間、お世話になった近視用の眼鏡およびコンタクトレンズとは、無縁の世界に足を踏み入れ、今は読書およびコンピュータのモニターのため眼鏡(老眼鏡 です)だけを使用する、シンプルな生活になりました。早速日本の母に電話で報告しました。母は非常に驚いていましたが、全く問題がないとわかると、私が弟 の高校時代バレーボールの試合中、体育館でコンタクトレンズを落として、試合を中断させたことなど、一気に コンタクトレンズにまつわる昔話を連発し始めました。
今、唯一大変なのは、睡眠用のゴーグルをつけて、眠ることです(これは1週間使用しなければなりません)。手術後の2日目は、LAへの日帰り出張がありま したが、諸事情で急に宿泊することになり、夜の10時半ホテルに向かう車の中で、睡眠用のゴーグルを持参していないことに、気がつきました。どうしよかと 思いながら、スーパーマーケットに立ち寄り、水泳用のゴーグルを購入し、その晩をそれをつけて、眠りました。かなりきつく顔を締め付けたため、翌朝5時 50分に起床した私の顔は、ゴーグルの跡がしっかりマークされ、半漁人のような顔になっていたのが印象的です。
まあ。これも視力の独立のための小さな代償だとして、逆に大いに楽しんでいます。コンタクトレンズなしの私ですから、次にやりたいことは、もちろんウォータースポーツで、ぜひ「カイトボーディング」に挑戦してみたいなと思っています。ここサンフランシスコ・ベイエリアは、風があるので、ウィンドサーフィンやカイトボーディングが盛んで、誰でも気軽にトライできます。