
Pampanitoは、歴史的な資産として国から指定されており、San Francisco Maritime National Park Associationによって管理されて、サンフランシスコの観光名所Fisherman's Wharf のピア45に停泊しています。70人のクルーと10人の指揮官によって操作されていたPampanitoは、第2次世界大戦時に、日本の戦艦6艇を沈め、4艇にダメージを与えています(私にとってはちょっとアイロニカルな事実で、複雑な心境です)。毎年20万人の観光客が訪れて、艇内を見学しながら、歴史を学べる米国潜水艦です。
私も12年前、サンフランシスコに移住した時に、真っ先に夫と2人でこのボートを見に行きました。夫は米国の原子力潜水艦USS Daniel Boone (SSBN 629)のエンジニアだったので、潜水艦は彼が最も興味を持つボートです。当時はまさか自分がこのPampanitoの修復プロジェクトを担当するとは思いもよらず、2人で写真を撮ったりして、大いに潜水艦ファンとして、観光を楽しみました。
夫は一年半前に、船舶の修理修復をビジネスとするBay Ship & Yachtに、プロジェクトマネージャーとして勤務するようになり、今回のプロジェクトも、かつて潜水艦乗りであることも考慮されて、担当となりました。Bay Ship & Yachtが扱う船は、沿岸警備隊艇、タッグボート、フェリー、クルーズヨットあるいは、オラクルのCEOのラリー・エリソンの豪華ヨットなど、さまざまな船を取り扱います。また歴史的に価値のある一世紀前の木造大型船「C.A Thayer Restoration」のプロジェクトも、行っており、夫の最初のプロジェクトは、このThayerでした。こうした歴史的資産の船の修復は、かなりの費用がかかりますが、費用の多くは個人や企業の寄付金と政府の援助で、まかなわれています。
彼が米国海軍で原子力潜水艦に乗っていた時代は、1976年から1980年の4年間ですが、米ソ対決の冷戦時で、小説「The Hunt for Red October(レッドオクトバーを追え)」さながらに、通常北の海に2ヶ月ぐらい潜るらしく、私の想像を絶する世界にいたようです。夫は、冗談まじりに、ソ連の潜水艦乗りは勤務中もビールが飲めるので、うらやましいと言っていましたが、ミサイル発射実験も大西洋で行っており、彼が属していた世界は、今とはずいぶん異なっています。
夫は、今朝も4時半に起きて、「Pampanitoは、大分いろんなところを直さないとならないけれど、NPOによる管理で予算が足りない。うちの会社の労力をドネーションするしかないみたいだ」といいながら出かけていきました。確かに、歴史的資産を守るためには、ベネフィットを抜きにして、みんながさまざまなアセットをコントリビュートするしかないようです。